ラードの海に溺れて

めし、酒、本、映画

バー考

 

 2018年10月に初めてバーの扉を叩いた。

 日時が具体的なのは理由があって、ちょうどこのとき7年付き合ってた彼女と別れたので、今までやってこなかったことをやってみようという気持ちが出てきたからだ。

 初めて入ったバーが新橋のシガーバーだったので、それと同時に葉巻も始めた格好になったんだけど、飲み慣れてない酒+初めての葉巻でこっ酷い目に遭った。

 具体的に言うと、葉巻でがっつりヤニクラ(ニコチン酔い)した挙げ句に酒でもベロベロに酔って、新橋駅の駅そばで、かけそばを頼んだ挙げ句につゆだけ飲んでからの記憶がない。LINEの履歴を見たら別れたばかりの彼女に電話してて自分に引いた。

 

 いいんだよこんな話は。

 

 自分が通い始めたバーはオーセンティックバーと呼ばれる類のもの。明確な定義があるのかは知らない。店の中が暗くて、バーテンダーさんがシェイカーを振っている感じの、バーと聞いて普通に連想するようなちょっと敷居が高いバーを指して「オーセンティックバー」と呼ぶ。

 でも、最初に通い始めた時はショットバーでもまあまあ怖かった。モルトバーって言われてもそれはそれで分かんないんだよな。ショットバーでもモルトバーでもカクテルが出るところは普通に出るし。わざわざマスターに訊くことでもないと思う。デートに使えそうならオーセンティックバーという解釈でいい。

 

 初めてバーに行った時は、「なるようになれ」という気持ちと2万円を握りしめていった。シガーバーではこれが正解だった。

 だいたいのオーセンティックバーでは、会計は一人あたりおおよそ5〜6千円程度。だいたいこれで3杯くらい飲める。チャージは1000〜1500円くらいかかる。

 チャージはそれなりにする。するんだけど、その分チャーム*1は出てくる。ツナを練り込んだクリームチーズを載せたカナッペとか、ドライアップルとか。いつ行ってもマイクポップコーンしか出ないバーもあったりして、このあたりはお店の個性が出る。

 

…でもシガーバーはここに葉巻の値段が乗っかってくるのだ。シガーバーで並ぶ葉巻は底値でも1600円程度だ。初めてのバー体験で払った会計は8000円だかそこらだったと思う。酒が入っていたので「オッケー」という気持ちで払ったのだが、まあまあひどい状態でも金額はうっすら覚えているあたり、もうちょっと酔いが醒めた状態でその金額を目の当たりにしていたら血の気が引いていただろう。シガーバーに行かなければビビるくらいの会計が出てくることもまあないから、よほど葉巻に興味があるというのでなければこのあたりは気にしなくていい。

 

 デートでバーというシチュエーションを選ぶなら、それなりの覚悟は必要だと思う。慣れない場所で緊張したりしないようにとか。そういえば、一度銀座コリドー街のバーに入ったら、女性がナンパで一緒になったらしい男性のほうを完全に潰しにかかってる光景を目にしたことがある。当時私は24か5になったくらいだったと思うが、初めて東京という場所が怖いと感じた。彼は生きて帰れたのだろうか。コリドー街は自分にはまだ早いと思った。

 話がそれた。

 とまれ、私はバーにはなけなしの現金と覚悟を持って扉を叩くことにしている。

 

 覚悟にも様々な解釈はあるけれど、ここでは仮に「ビビらない心」と「物事を素直に受け止める心」の2つを置く。

 

 自分が飲むのはだいたい渋谷か新宿だ。銀座は一度か二度行ったっきり行っていない。渋谷・新宿と銀座とでは接客のスタンスそのものが全然違う気がする。

 「ビビらない心」で言うと、先述の銀座のバーに初めて入ったときの緊張感を今でも思い出す。

 席に座るよう促され、バーテンダーからおしぼりを渡される。オーダーを訊かれてジンフィズを頼む。そして痛くもない腹を探られる。

「もしかして、以前いらっしゃったことはありますか……?」

「いえ……」

「それは失礼いたしました。このような…普段からバーで飲まれることが多いのですか?」

「ええ、渋谷が多いですね…」

「そうなんですねぇ…ちなみにお店って……?」

「石の華さんに……」

 このあたりでバーテンダーが「ほう、炭酸抜きコーラですか…」みたいな顔をする。その時から渋谷で通っていた店ではここまで腹を探ってくることは当然なかったので、思わぬ洗礼に胃がキリキリした。酒を飲む前から。もっと言うと、【石の華】という有名なバーは渋谷に実際あるのだが、このタイミングでは3〜4回くらいしか行ったことなかった。あの名店のめっちゃ常連ですみたいな面して答えたが、自分がよく行っていたのは、オープンからまだ日の浅い、また別のバーだったのだ。*2

 そして出てきたチャームは、野菜スティックと小さくてやたら分厚いマグカップに入った、異様に濃いコンソメスープだった。面食らったチャームは後にも先にもここだけだった。銀座のバーやべえな、という感想が素直に出た。野菜スティックには苦手なセロリが入っていたが、何食わぬ顔で食べた。大人なので。

 胃はキリキリしたし結局話のオチとしてはビビりちらしてるんだけど、何があっても受け入れる覚悟があればなんとかある。

 もっと言えば、上記は良くない例だ。知ったかぶりとか一番良くない。

 分からなければ「分からない」と伝えて、

  1. 食事は済ませてきたか
  2. 普段どんな酒を飲んでいるか(甘いほうが好きとか、甘くないほうがいいとか)
  3. 苦手な酒などはないか
  4. ショートかロングか(強いほうがいいか、強くないほうがいいか)

 上記の3つを念頭に置いて答えればなんとかなる。

 おおむね、ショートカクテルが度数が強く、ロングカクテルの方が(比較的)度数が弱いという理解。無論、ロングカクテルでも度数がエグいカクテルは存在するので例外はある。*3

 そうして出てくるカクテルは、名前があったりなかったりする。ウイスキーが入ったグラスに水を加えてステア*4すれば水割りになるけれど、水の入ったグラスにウイスキーをマドラーに沿わせながら静かに注げば、ウイスキーフロートという名前のカクテルになる。このように、文字通りさじ加減で名前も味も変わるし、その時々の客の体調に合わせてバーテンダーも調合を変える。そういった意味ではカクテルは星の数ほどあるのだ。好きなカクテルの名前は覚えておいて損はないが、覚えてなくても案外なんとかなるので安心してほしい。むしろ誰かと一緒にいて、こちらも気を利かせなければいけない状況なら、下手にカクテルの名前を並べるよりも、相手の状態を把握した上でバーテンダーに伝えたほうがより的を得た対応になる。一緒に行く側も、そうしてくれる同伴者と一緒にバーに行くべきだ。

 

 そして、「物事を素直に受け止める心」で言うと、バーはバーテンダーの所作も見どころだから、「あれはどんなカクテルを作っているんだろう」とか、バーテンダーと常連の話をぼんやり聞いているだけでも楽しい。

 バーテンダーがカクテルを作る際に行う工程にはすべて意味がある。調合するお酒の分量は勿論、シェイカーやミキシンググラスに入れる氷の選び方、ステアの回数、シェイカーの振り方や振る長さ、注ぎ方に至るまで。シェイカーにも丸いものとボストンシェーカーと呼ばれるものの2種類がある。一回のステアで解ける氷の量は4ccと何かで読んだ。修行時代は鏡の前で練習すると聞く。でも格好だけではない。

 

 シェイカーも闇雲に振っているのではなく、内部がどのような状態になっているのかをイメージしながら振る。各工程の意味を想像しながらグラスを傾けると、バーテンダーの工程の意味がつかめてきたような気がして面白い。実際のところ何一つ分かっちゃいないけれど。

 見ているのが楽しいから、自分はバーにいる間は滅多に携帯を見ない*5し、バーカウンターの上に置いておくこともしない。

 そうそう、バーカウンターの上には余計なものは置かないように。腕時計も外そう、メタルバンドなら特に。バーカウンターはバーにある汎ゆるものの中で一番高価で、バーテンダー自身が予算と相談しながら、市中の材木屋を駆けずり回って吟味した末にこれだと決めるものだ。傷をつけることも、火がついた煙草が転がすことも絶対に避けるべきだ。

 

  いい店の基準は人それぞれだ。静かな店がいいか、落ち着く店がいいか。客の意向に忠実にあることを是とする人もいれば、こちらの要望に沿ってより最適な提案をしてくれることを是とする人もいる。どちらがより優れているというわけではない。その人なりの居心地のよさというのがあるから。

 それで言うと、自分は比較的なんでもいい。何度も通っていると、そのうち店に入ったときに「〇〇様」と呼ばれたりするようになるし、バーに行き始めてからずっと通ってるお店のバーテンダーには、最近になって遂に「〇〇君」と呼ばれるようになった。位(くらい)が下がってるようでいて、気安さがあって嬉しい。初めて入る店は今でも緊張するけど、今ではそれもいい意味で慣れてきた気がしてきた。ちょっとは場馴れするようになったようだった。

 ぼちぼち銀座のあのバーへリベンジしに行けるかもしれない。

 

 ここまで書いてなんだけど、バー行くのだいたい一人なんだよな。誰かと行くことが全くない訳ではないけど、一人のほうが圧倒的に多い。銀座のバーも一人で行った。コリドー街のバーに行き場のなさそうな男が一人ふらっと入ってくるのを想像したら途端に居たたまれなくなってきた。あの腹の探り合いも、あのバーテンダーなりの慰めだったのかもしれない。去り際に彼からは名刺をもらった。オーナーがしばしば入れ替わるあのバーで、彼はチーフバーテンダーだった。

 今も銀座のバーカウンターに立ち続けているんだろうか。

 

 

 

 

お題「ささやかな幸せ」

*1:居酒屋で言うところのお通し

*2:どちらが上か下か、という話では決してない。本当に!

*3:スクリュードライバーロングアイランドアイスティー、ハーベイ・ウォールハンガーなど。レディーキラーと呼ばれる度数が強いカクテル群は護身のためにも頭に入れておいて損はない

*4:バースプーンで混ぜること

*5:そもそも、バーは閉鎖空間で携帯の電波もなかなか通らないことも多い