ラードの海に溺れて

めし、酒、本、映画

または私は如何にして(貯金の)心配するのを止めて…を愛するようになったか

 メスカル、という蒸留酒がある。

 端的に言えば、竜舌蘭…サボテンの花から作られる蒸留酒だ。言ってしまえばテキーラのことを指す。厳密に言えばメスカルというジャンルの中にテキーラがある。シャンパーニュ地方で、法律で決まった製法で作られるスパークリングワインをシャンパンと呼称するのと同じだ。シャンパンはフランスのAOC*1という制度に沿っていて、これが厳密に決まっているのだ。テキーラも法律で決まった製法と、特定の竜舌蘭の種類を使ったメスカルのことを指している。メスカル(テキーラ)はメキシコの伝統的な蒸留酒だ。ただ、メスカルは蒸留したあと、無色透明の液体として飲む一方、テキーラは熟成させてカラメル化を経た上で飲むだとか、テキーラは大量生産されている銘柄もある一方で、メスカルは小さい蔵で細々と作っているだとか、色々な違いがある。

 メスカルは……遠い昔に飲んだことがある。昔Twitterの繋がりで、虫を食う会なんてふざけた会合を川崎の他人の家で催したことがあったのだ。長野とかから買ってきた蜂の子の甘露煮の缶詰とか、そういうのが並んだ。私は芋虫が入ったメスカルと、サソリ入りのウォッカを持っていった。

 ラゾーナ川崎の地下にあるビック酒販で、クラマトというトマトジュース*2なんかも買い込んで適当に混ぜて飲んでいた気がする。それが何年前だったのかは今は聞かないで欲しい。遠い昔の話だ。

 メスカルを飲んだのはそれっきりで、メスカルに入っていた芋虫を齧ったのは会合の主催者で「石油のような味がする」と言っていた。酒自体はまあ悪くはなかった。私の中でメスカルは、芋虫入りの色物蒸留酒として代名詞化してしまった。

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 渋谷に「The SG Club」という店がある。アジアでもっとも勢いのあるバーが連なる「Asia‘s 50 Best Bars」に毎年ノミネートされ、日本国内のバーで最高位を獲得し続ける日本を代表するバーだ。オーナーの後閑氏は世界で影響力のあるバーテンダー100人のうちの1人にも選ばれたらしい。とにかくすごいバーだ。

 2階、1階、地下1階とそれぞれ違った顔を見せるバーで……という話はさておくとして、先日ここにお邪魔してきたのだが、地下1階でたまたま後閑氏がバーカウンターに立っている日だった。隣には海外帰りのお客様がいた。メニューに胸を躍らせ、この目の前のカクテルには何が入っているんだろう(雨と苔のジンフィズなんて変わったメニューがあって、それを飲んでいた)と頭を回しながら、後閑氏とお客様の会話をそれとなしに聴いていると、たまたまメスカルの話をしているところだった。

 メキシコに渡った後閑氏が現地で買い付けたメスカルがそこにはあって、これを作ったメスカルの蔵は非常に小さく、このバーの地下1階ぐらいのスペースしかないのだと言った。力作業は牛や馬に引かせている、蒸留の際は蒸留器の中に牛だったり、鶏だったりを吊るして、それらのエキスをメスカルに落とし込んでいく、とか。聴いていて非常に勉強になった。そこで私は先述したグサーノロホを昔飲んだ話をしてみたところ、グサーノ(芋虫)を入れたものは味が全てそれに染まってしまうのが難点で、という答えが返ってきた。なるほど。

 このメスカルは、虫と一緒に食べるらしい。フリーズドライにしたバッタや、粉にした虫と塩を混ぜたものを食べたり舐めたりしながら飲むようだった。隣のお客様は美味しいと言った。その時は1階→地下1階→2階とはしごするつもりだった*3から、また来た時に飲もうと思った。

 次の日にはまた来店していた。

 その日は後閑氏は不在だったが、あのメスカルを試したくなった。

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 無論虫も一緒に。

 昆虫食が注目されていて、なんてのは昔から言われていたけど、加熱した虫はうまい。でも考えてみれば、海老の殻や虫を構成している物質はあんまり変わらないはずなのだ。乾煎りした虫はうまい。かっぱえびせんに近い。

 メスカルそのものは、若干の獣臭さがあるが悪くはない。乾燥した虫を舐めながらメスカルを口に含むと、メスカルの獣臭さが「出汁」として立ち上がってくる。海老と動物系の出汁。品の良いラーメンのスープを思わせた。メキシコで出汁バーとか、ラーメン屋を開いたらもしかしたら流行るかもしれない。

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メニューの一部

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雨と苔のジンフィズ

 雨と苔のジンフィズ。雨と苔の要素は当ててみて、とのことだった。トップノートは瓶詰めのブラックオリーブを思わせた。私よりは舌の肥えた同僚は青リンゴっぽいと言う。調和しているが、旨味もあるような気がすると。結論を言えば、そのどちらも外れていた。でも旨味はひとつのキーワードのようだった。答えはこっそり教えてもらった。

 思い込みだったり、認識だったりというのが覆される瞬間というのは確かにあって、それがすごく面白かった。先日お店に伺った際のメニューで言えば、味噌とりんごを組み合わせたデザートカクテルだったり、バナナとキャラメルとシナモンと粉末醤油(!)を組み合わせたノンアルコールカクテルなんてのもあった。ウイスキーお酢と山葵を組み合わせようなんて、自分だったら何回生まれ変わっても出てこない発想だった。

 五反田にヌキテパという有名なフレンチがあって、そこは土のソースがかかった料理が出てくるほか、ノンアルコールドリンクとしてスイカの果汁を混ぜたコーヒーもある。渋谷でよく行っているバーでは、ずんだや大葉を使ったカクテルなんかも出してくれる。また別のバーでは、しっかりと甘いショートカクテルにピンクペッパーを振りかけて、ある種の強引さで以て味の調和を取っていた。そのカクテルは2006年の世界的なカクテルコンペで入賞している。

 サヴォイカクテルブック、というカクテルレシピの中でも古典中の古典とされている本*4があって、確かそこには、テキサスの草原のど真ん中である男が死に際に「牡蠣が食べたい」と言って、仲間たちがそれに応えたという逸話がある『プレーリーオイスター』という古典的なカクテルが載っていた。

レシピ

卵黄 - 1個

ウスターソース - 小さじ1

トマトケチャップ - 小さじ1

ビネガー - 2ふり

コショウ - 1ふり

  これも立派なノンアルコールカクテルだ。フードが出るバーならまだしも、ショットバーでこれを頼まれたら多分バーテンダーはだいぶ困ってしまうと思うからほどほどに。メニューにない、ちょっと変わったカクテルを頼む時ほど勇気のいることはない。牛乳入りのジンフィス、会館フィズ(モーニングフィズ)がカクテルの中で一番好きだけど、滅多に頼めないのだった。よく行くバーでしか頼んだことはなかった。

 自分には到底思いつかないが、味わってみて、あるいはその後に頭で理論を類推してみると腑に落ちることは往々にしてある。何せ目の前の美味しいカクテルがすべての答えなのだから。そこから途中式を遡ると「なるほどね」となるのだけど、まず最初にその答えを導き出すためのとっかかりを作って、なおかつ高い完成度で以て具現化してしまえるなんて、そこにはどんな魔法があるんだろう。趣向を凝らし、なおかつ完成度を高めに高めた芸術作品を飲む楽しみは何物にも替え難かった。自分がエンゲル係数を高めに推移し続けていてもバーに行き続ける理由のひとつはそこにある。

*1: 原産地呼称統制:アペラシオン・ドリジーヌ・コントローレ

*2:はまぐりエキスが入ったトマトジュースで、これがやたらとうまい

*3:同じ建物内でバーを梯子出来る素敵な構造だった

*4:初版は禁酒法時代のアメリカからロンドンに移ったバーテンダーが書いている。カクテルが体系化するに至った歴史のターニングポイントは禁酒法だったとする説がある。「バスタブ・ジン」という俗称で呼ばれた粗悪な酒をどうやって飲むか、当時のアメリカ人は頭を悩ませていたのだった