ラードの海に溺れて

めし、酒、本、映画

トリスウイスキーのロック

 ルバイヤートという、ペルシアの四行詩集がある。

 

 11世紀に、オマル・ハイヤームというペルシア人の男が自費出版で出した詩集だ。古本屋のワゴンセールで投げ売りされていたものをフィッツジェラルドが見出して、そしてそれがイギリス近代文学に影響を及ぼしたとかなんとか。確か岩波文庫版の解説にこんな感じの記述があったと思うが、どこかに埋れてしまって定かではない。手元にある人は訂正してほしい。解説はないが、本編は青空文庫にあるから一度読んでみてもいい。

 その中に、こんな一節がある。

 

嘆きのほかに何もない宇宙! お前は、

追い立てるのになぜ連れて来たのか?

まだ来ぬ旅人も酌む酒の苦さを知ったら、

誰がこんな宿へと来るものか!

 

 フィッツジェラルドが見出した1人の孤独な男の叫びは英訳されヨーロッパに広まったけれども、ルバイヤートは言ってしまえばバッドに入った酔っ払いの戯言で、全編こんなノリの四行詩がたくさん載っている。まるで今の私の状況のようだ、なんて陳腐なことはこのブログでさえも散々書き散らしたからもう言わない。

 

 先日キャバクラに初めて行った。会社の先輩に連れられ2人で。

 沖縄のキャバクラだった。沖縄県那覇市松山はそういうところで、今時都内でもなかなか見ないような坊主頭だったりなんだり、およそ堅気には見えないようなキャッチが闊歩している。が、歌舞伎町のそれと比べたらだいぶ真っ当らしい。無料案内所には「保証 5000〜」なる謎の文字列があった。沖縄特有のシステムらしいが、都内のキャバクラにも行ったことないので、説明は全くピンと来なかった。ともあれ私は2店舗はしごして、しゃばしゃばの氷で作られたトリスのロックを都合8杯飲んでビジネスホテルで崩れ落ちた。行く前に先輩から、「裸の現金とホテルのルームキーだけ持っていこう。携帯は置いていけ」と言われてそのようにした。楽しかったか? 莫迦を言ってくれるな。引きずられるがままに行った末にポケットにねじ込んだ4万が消えた。キャスト*1がやりづらそうにしていたタイミングが確かにあって、その度に私は消え入りそうな気持ちになった。誰も幸せになれない空間だった。

 私に対する“真面目な男”という評はよく言ったもので、つまらない男は煮ても焼いても、安ウイスキーのロックをいくら流し込んでも食えやしないということだった。気のない異性に身を寄せられたところでどぎまぎ出来るような年齢でもなくなってしまった。太腿に手を乗せられたところでむず痒いだけだから、と言いかけて、キャストの側も仕事なんだよな、とウイスキーで濁りきった頭で思い直すと、今度は申し訳ないと言う気持ちが溢れてきた。ドキドキとは別のベクトルで情緒が急速に閉じていくのを感じた。せめて、“親の死に目に会えなかった情けない男”フェイスになったりということは極力抑え、出来るかぎり笑顔で先輩を立てることに終始した。「こいつはキャバクラ初めてだから」と先輩は私のことをキャストに触れ回っていたが、何故今まで一歩も足を踏み入れなかったかといえば、こうなることが目に見えてわかっていたからだった。初めて踏み入れたとて、それも遅すぎると多少ボディタッチがあったところで何の感慨も湧かなくなる。だいたい15分おきにキャストは目まぐるしく入れ替わりながら(ボーイが声をかけるのだ)、席着いて2分も経てばドリンクいいですか?と聞いてくるあたり、一旦の目的は達成できただろう。およそ60分の間に女性が2人ずつ、計4組が横につき、どんな仕事をしてるんですか?どこから来たんですか?一杯頂いていいですか?という質問を4回繰り返される羽目になった。

 先輩は残白*2の水割りを舐めながら言う。「俺はキャバクラで雑談力を鍛えたんだ」だからか。だから先輩の話し方はおっさん臭いのか。営業の先輩としてそりゃあ尊敬はしているが、(現代っ子代表みたいな面をしたいわけじゃないということはわかって欲しいけど)現代っ子からすると駄々滑りしているようにしか見えない言動がしばしば出てくることに、思うところがあったのだ。「お前の話は面白くないね」そりゃあね。

 そんなことはどうでもいいのだけど、行ってみて意外だったのは、ウチナー*3が全然いなかったことだ。千葉やら東京やら静岡やら大阪やら。それも来て2〜3ヶ月しか経っていないと自称する。そして皆、大袈裟でもなんでもなく口を揃えて言うのだ。「沖縄に旅行に行ったら気に入っちゃって、住みたくなったんです」と。それ以上突っ込むのも野暮な気がした。多分本当なんだろうな、と思うことにした。何を連想したかとか、もっと言えば真相などどうでもよくて、私がその日その時その場所で抱いたその気持ちをどう処理するかの話だ。

 2店舗目の最後に私に付いた女性は入店して間もないのか、一切キャバクラに行ったことない自分でも分かるぐらいぎこちなく、なんなら曲がり角から顔を出した時点で少ししんどそうに見えた。どこ出身だったかは忘れたが、この人も内地の人なんだ、と思ったのは覚えている。当たり障りのない会話をしていく中で、休日は何をしているのか、という話題になったところで彼女は答えた。「朝になったら…海を見に行くんです。ビール飲んでずっと座って海を見て、夕方になったら帰って、買ったお弁当食べて……」

 あんた、内地に帰ったほうがいいんじゃないか。やられかけてねえか。そんな言葉が喉まで出かかって、結局「そっか」と言って流した。

 その日もらった名刺はぜんぶホテルのゴミ箱に捨てた。

*1:キャバクラで働く女性のこと

*2:泡盛。沖縄のキャバクラではど定番らしい

*3:沖縄県内出身者