ラードの海に溺れて

めし、酒、本、映画

あだ名は先生

 高校生の時のあだ名は「先生」だった。

 下から数えた方がちょっぴり早いくらいの県立高校はまあまあ荒れていて、バルコニーで煙草を吸う同級生の常喫銘柄もそれなりにバリエーションがあった。世界観としてはマイルドなごくせんだ。私と同じ苗字で平野綾似の同級生のことが、私はちょっぴり好きだった(涼宮ハルヒの憂鬱を一通り見たばかりの時期だった)のだが、高校一年生の昼休みに教室の真ん中で「コンドーム10箱とセッタ2カートン!」と電話口でデカい声でどこかに注文していたのを聞いてしまってドン引きした。業者か? みんなワイシャツは第二ボタンまで外してるし、第二ボタンどころか第4ボタンまで外してる奴もいるし、ネクタイもちゃんと締まってない。筋トレが趣味の葬儀屋の息子は冗談みたいな厚さの財布を持ち歩いていて異様に羽振りが良かったのを覚えている。男女比が3:7でみんなカジュアルに惚れた腫れたを繰り返すから、相関図はまるで東京メトロだった。

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東京メトロの路線図

 

 あまり制服を着崩さないタイプの同級生も酒は飲んでいて、ある時私の家に学校帰りに遊びに来た時は、私が入学祝いとしてドンキで買ったジョニーウォーカー・スウィングのボトルをストレートで駆けつけ3杯流し込んで、ブレザー姿のままベロベロで帰っていった。当時流行り始めていたイチローモルトのボトルは触らせなかった。すごい高校生ばかりだなあと思っていたが、でも頭髪検査だけは妙に厳しくてだいたいは黒髪だったから、荒れきれてない中途半端さがあった。

  ヤンキーがそこそこの比率でいる公立高校では、髪を毎朝固め、ワイシャツを第一ボタンまで留め、ネクタイを首元まで緩みなく締め、銀行屋のような革のカバンを提げているだけでキャラが立った。少しゆったり目に作られたブレザーが不恰好に見えたので、どこかで買ったベストを中に着てスリーピースのように着こなしていたら、担任の教師よりも教師らしくなった。調子に乗った私は、イギリスから個人輸入した手巻き式の懐中時計をベストのポケットに入れるようになった。3万ちょっとしたそれは、手巻きのネジを巻き過ぎてすぐバカになってしまった。そもそも手巻きの時計は一日に1分近くずれたのだ。でもかっこよくてそのままだった。高校生の時に旅行に行ったスイスで、ユングフラウヨッホの麓で180フランで買った懐中時計も提げていた。あとの旅程で、ベルン駅で全く同じ時計が120ユーロで売っているのを見た時は卒倒しそうになった。あの日本人め。(下手にスイスで買い物するよりも、国境を跨いで買い物した方が安く済むことを知ったのは、スイスから直行したタイ・バンコクのホテルでやっとまともに使えるWi-Fiを拾えてからだった。)でもかっこよかったからそのまま使い続けた。懐中時計には蓋があるものとないものがあって、スイスで買ったものは蓋があって、イギリスから輸入したものは蓋がなかったのだった。

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スイスで買ったやつは確かこんな感じの見た目だった

 

 気に入っていたが、その後2度か3度に渡る引越しで紛失してしまった。
 スイスでは醸造酒が16歳から、蒸留酒が18歳から飲んでもよいことになっていたので、スイスでワインと白ビールを飲んだ。チーズフォンデュにも少しワインが入っててえらく美味かった。これが本場の味かと思った。そう、これはスイスの話であって、決して神奈川のベッドタウンであった話じゃない。同窓会に顔出したら当時のこといじられたりするのかな〜、って思ってたけど、高校から卒業してしばらく経っても同窓会に誘われる気配はまったくない。あの業者の子(?)は元気にしているだろうか。元気過ぎてもなんか嫌だな。元同級生には普通に暮らしていて欲しい。