ラードの海に溺れて

めし、酒、本、映画

地縛霊

 今日8月2日付で、会社を休職した。

 

 理由を端的に言えば、心身のバランスを崩した。 

 もともと人間の心身なんてものは自転車操業で、一度コケたら膝擦りむいたり頭打ったり、あるいは自転車の車輪が歪んだり、乗り直そうと思ってもなかなか取り戻せない。

 それで言えば、連日罵倒され続けた1月に自転車から転倒したまま、私は動けずにいた。

 詳細を差し控えるのは大人らしさでもなんでもなく、当時のことを思い出そうとすると耳障りなぐらいの動悸がし始めるからだ。そして頭の中にイメージが浮かんでいても、それを言語化するのは…苦しかった。ここ最近は事務所にいる時でも、社長がいようがいまいが動悸が止まらなくなった。

 主治医が言った「おそらく薬効いてないですよ。原因から離れて休養したほうがいいです」

 遂に、と思った。土曜日に診断書をもらい、月曜日の朝に社長にショートメールを送った。そこからは休職まで拍子抜けするほどあっさり進んだ。

 実質クビになると思っていたし、いっそのことクビにしてくれとまで思っていた。

 

 ここで断っておかなければならないが、渦中にいる人間は得てして悲観的になるものだし、しかしまた冷静な判断も出来ないのだった。悲観的な態度が鼻についたらこのブログエントリはここで閉じるべきだと思う。今日は終始この調子だ。

 

 5月、起き抜けに冷や汗が止まらなくなった日に駆け込んだ心療内科の先生は、投薬治療をするかしないか、選択肢を投げかけた。

 私はマトリックスの1シーンを思い出した。

これは最後のチャンスだ。先に進めば、もう戻れない。青い薬を飲めば、お話は終わる。君はベッドで目を覚ます。好きなようにすればいい。赤い薬を飲めば、君は不思議の国にとどまり、私がウサギの穴の奥底を見せてあげよう


www.youtube.com

 私が青のピルか赤のピルか、結局どちらを選んだことになったのかは今でも判らない。

 私は投薬治療を選んだ。仕事を続けたいと言った。でもこれは本心だ。会社を支えたいと思っていた。社長には世話になっていたから。

 でもそんなことをのたまう一方で、私はクローゼットのハンガーパイプにもやい結びにしたビニール紐をくくりつけ、帰宅して夜になると、その前で落ち着かずぐるぐると部屋の中を歩き回っていた。

 あるいはクローゼットの前に置いたデスクで煙草を吸いながら、俺の体重を支え切れるか、とか、Amazonでぶら下がり健康器を買ったほうがいいかもしれないな、とか、妙な部分だけ冷静だった。頸静脈は2kg、頸動脈は4〜5kgの力がかかれば閉塞する。気道閉塞なら15kg程度、ざっくり全体重の20%ほどが頸部に掛かれば縊死に繋がる。昔趣味で小説を書いた頃、法医学関連の書籍を何冊か購入していた。南山堂の専門書から、データハウスが刊行した怪しい本まで。昔取った杵柄にしてはいささかみっともない。

 一度心身のバランスを崩して痛感したのは、今まである程度、なんとか出来ていたことが全然出来なくなるということだった。顧客のフォローとか、そういった基本的なことが徐々におざなりになった。前職なら1日に何十回とかけていた電話(コールドリストから顧客を掘り返す営業だった)すら、今となっては1本電話かけるのにも気が重い。自分こんな仕事出来なかったっけ。愕然とした。今までささやかな自負にもなっていた前職での実績なんか消し飛んだ。メール1本打つのにも信じられないくらい時間がかかる。頭に靄がかかったようだった。営業中も、自分が何を喋っているのかすら曖昧になった。こんなザマの俺を今の会社以外でどこが雇うってんだ。やるしかない。やるしかない。これを乗り越えれば。

 同期が辞めた。俺の相棒だった。

 あんたも辞めたほうがいいっすよ。命賭けてまでやる仕事じゃないし、替えの利かない仕事じゃないですって。そうだよな。解ってる。

 ある日、社長が「今日のアポは?」と訊いてきた。なかった。近所のスーパーに連れ出され、そこで安いスーツを買って渡された。ささやかな抵抗は飲まれてしまった。「はい」としか答えられなくなった自分を、遠くから俯瞰した自分がずっと見下ろしていた。逃げられない。正直そう思った。

 薬の量は増減した。折れ線グラフを想像してくれればいい。上か下か、上に振れているときはやらかすし、上に振れるものはそのうち下に振れる。上の時にはやらかしも増え、次に下がった時の波形は、やらかしへの後悔によって下降率が一番底、二番底、三番底へと抜けていく。

 私が先生と目指すべきは、折れ線グラフをなるべく平坦に保つことと、上げ幅や下げ幅がしきい値を超えないようにすることだ。上げる薬もあれば下げる薬もあって、週ごとに目まぐるしく変化する情緒に応じてそれぞれの投薬量は変動した。やがてそこに睡眠導入剤も追加された。寝なきゃ効かないからだ。でも結局薬の量は安定しなかった。

 ただその一方で身体が勝手に動く場面があって、自分の場合は、倒れている人を見ると声をかけずにはいられない。今住んでいるところは繁華街で酔っ払いもしばしば倒れている。酔っ払いの介抱は、警備会社時代に病院に配置されていた頃は、搬送されてすぐERから吐き出された(そして口からあらゆる物を吐き出している)酔客の対応を連日やっていた。放っておこうと思う部分も頭の片隅にあるが、酔っ払っている人間が仰向けになっていると回復体位にしたくなる。かつて嘔吐による窒息で死んだ政治家がいた。

 その頃取得した上級救命講習・応急手当普及員・AHA BLS*1がまあまあ活きた。バイスタンダー*2を2度やった。昔やった杵柄。当時は退屈と言えば退屈だったけど。

 深夜、羽織ったジャンパーから削って尖らせた鉄の棒を取り出して「俺は人を殺しに来たんだ」と口走る爺さんの横に座ってさりげなくそれを没収するだとか、あるいは、ある施設への不法侵入を試みた男性を私人逮捕して半日取り調べで拘束される(おかげで当直勤務明けの日勤がほぼなくなった)とか。退屈な分、鉄火場となると溜まっていた鬱憤がここぞとばかりに爆発する。正直それが楽しかった。資格者証のバッジが増え、また社内表彰されると気持ちも上向いた。

 昔の楽しかった思い出を振り返り、ある種の郷愁を覚えてしまう。先日、懐かしくなって資格者証・初任研修時の集合写真・表彰状なんかを引っ張り出してしまった。でも同時にあることを思い出していた。

 時に警備員は「最期の職業」と言われることがある。私は中小から大手に渡ったが、中小では脛に傷がある隊員は少なくなかった。大手も中途、あるいは新卒でも様々な変遷を辿っていた。

 その中で印象的だったのは、かつて勤めていた会社などで要職を勤めていた人だった。どんな社会経験を積んでいたとしても、警備員はルーティンワークをこなせるかどうかも大切だが、実はそれ以上に鉄火場の時に(あるいは発生する前に)即座に動けるかどうかが基準になる。この際必要になる“咄嗟の判断”は、通常企業で求められるものとは異なるものだ。一歩間違えれば受傷事故に繋がったり、一般私人(一般人=警備員)に本来ある権利から逸脱してクレームや違法行為に繋がる可能性がある。

 故に、警備員は最初に初任研修を数十時間に渡り受ける必要がある旨、警備業法で規定されている。要は常識が通用しない部分があり、そこにある落とし穴もそれなりにデカい業種だ。

 ただそれを理解し切れないまま、それまでに働いていた感覚で入ってくる人も少なくない。

 そういった隊員たちを、警備会社内では「地縛霊」と呼んでいた。地縛霊が縛られているのは今までの職歴だったり、経験だったり、あるいは資格だったりする。

 郷愁を覚え、何かにつけ昔取った杵柄を手段に何かに駆られている自分は、かつて手を焼いていた地縛霊に近似しているように思えてきた。

 先ほど警備業法の解説を手に取った。かつて県警備業協会に一週間通い詰めて学び、警備員指導教育責任者の資格を取得した頃の知識がごっそり抜けている自分に愕然とした。

 私が現場で言っていたのは、「警備員には特別な“権限”はないけれど、一般私人には権利がある。一般私人が持っている権利を正しく把握することが警備員の武器になる」何を根拠にそんなことを言っていたんだろうか。

 思えば20そこそこの若造がようそんなことを言えたと思う。少なくとも今の私には言えなくなってしまった。

 繰り返しになるが、渦中にいる人間は得てして悲観的になるものだし、しかしまた冷静な判断も出来ないのだ。厳しい状況に陥ったときは楽しかった時の記憶に縋りたくなる。でも当時の記憶も楽しいことばかりフォーカスされているだけで、それ相応に辛いことも当然あったはずなのだ。だからこそ上昇志向も生まれ、有給と自腹を切ってでも資格を取得した。頭で解っているが、縋らずにはいられない。

 いくら眠くても身体がだるくても、警備員の仕事が好きだった。仲間と眠いなと零しながら立哨して夜空を見上げるのが好きだった。ふらふらせずに丹田を意識して歩くと様になる。気をつけ・休め・右向け右・左向け左・回れ右・受礼者に対し敬礼、今でも号令があればすぐに身体が反応する。

 ずたぼろになっても、営業の仕事が好きだった。お客様へのプレゼンはプレゼントだと思えば熱が入った。前職で契約を頂いたお客様の売り上げが上がっていくのは日々の仕事の糧になった。今の仕事では自分は誰の力にもなれていない。今日休業に入るとき、会社に社用のパソコンを返納した。ごめん、今の自分にはもう無理だ。

 

 

 

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

*1:医療従事者向けの心肺蘇生法(Basic Life Support)専門用語が多少入ってきたり、チームダイナミクスを学んだり、試験が英語だったり、ポケットマスクなるものを人工呼吸の際に扱ったりなど細かな違いがある

*2:広義では救急現場に居合わせた人を指す。狭義では心肺蘇生法を現場でやった人のことを指すことが多い