ラードの海に溺れて

めし、酒、本、映画

夜と霧を抜けて

 思考が鈍麻し、暗闇の中に身を置くしかなかった頃から一転、環境が大きく変わった。

 

 率直に言って生活レベルはいくらか落ちた。都心から転出して別の場所に居を構えたが、これがまた目も当てられない場所だ。これについてはまた更にここから引越したら話そうと思っている。今は再度引越しの準備を進めている。

 引越し当日、ふと「都落ちだなあ」と呟いたら、引越し屋が「そうですねえ」と同意した。うるせえな。

 とは言え、引越し以前と比べたらえらく気楽だった。

 ああ、世の中ってこんなに色彩があったんだっけ。都心を離れ、何もないベッドタウンに越したのにそんな感慨で胸がいっぱいになった。今の上司は論理的で言葉が通じる。世の中には喋っている言語が同じなのに言葉が通じないと言うことがままあるが、そういった人たちに囲まれ続けていると正常な判断能力も失ってくる。一時期難しく感じていたこともなんてことはなくなった。

 今でも会社に残っている同僚は、かたや社長指示でパーマをかけさせられ、かたや社長指示で坊主にさせられていた。どっちも50にもなる男性で、前職ではそれなりの役職に就いていた人間だったのだが、現在も社長により絶賛人格改造中だ。仮面ライダーか何かか? 飾らずに言ってしまえば豊田商事のノリに近い。昭和の悪いところの煮凝りのような会社だった。

 パーマ指示は私にも下されていたが、別に経費では落ちなかったので有耶無耶にしたまま退職の日を迎えたのだった。

 原因から切り離されるとだいたいの問題は解決する。あとは原因と離れたところに身を置きながら、残った因縁を片付けるだけとなった。これが一番の宿題だ。

 

 浮かれた話はここまで。

 環境が変わってから、いくつか話が飛び込んでくるようになった。それも穏やかじゃない内容のもの。

  曰く、犯罪被害に遭ったもののどうすればいいのかわからない

  曰く、金銭のやり取りの際相手が反社の存在を仄めかしてきた

  曰く、云々……

 一つ目は偶然とは言え乗りかかった船だった。警察官にとってどうされるのが一番やりやすいかイメージを持ち、それを伝えるだけでもある程度のことはなんとかなる。その一端で言えば、まずは連絡履歴や物的証拠などの保全。鑑識作業を見越して、被害内容によってはシャワーなども控えてもらう。具体的に何をされたのかについては、相手が自発的に話し始めない限り聴くことはない。ただの民間人なのに聞きたがるのは野次馬根性に過ぎない。

 事件発生から数時間後に覚知したために、連絡履歴の証拠は本人の意思で消してしまっていた。責めることはなかった。被害者の立場になって冷静な判断が出来るほうがおかしいのだ。

 ただ、本人が被疑者とされる人物に対し厳罰を望んでいるかは一つのポイントになる。非親告罪であっても、被害者の強い意志がなければ、その後の捜査や公判が、当人にとってより悪影響を及ぼすかもしれない。こればかりは被害者支援団体に振ってヒアリングでもしてもらった方がいい。公益性を鑑みれば問答無用で警察に通報すべき内容でも、死人が出ている場合は別として、被害者とコンセンサスを得ておくことでその後の齟齬は出にくい。ただでさえ参っている人間を責め立てるようなことをすれば本人の心を閉ざしてしまうし、そうなると過去を清算出来ないまま、望まざる十字架を背負っていくことになる。それだけは避けたかった。

 そしてもう一つのポイントとしては、第三者(あるいは名目上の“友人”)としてアドバイザリに徹することだ。例えば同伴して警察官等に対し法律面等で踏み込んだ話をしたり、示談交渉を代行・仲介する行為を報酬を得る目的で行うと非弁行為*1に当たると見做されてしまう。

 また、警察官の側からしても公的機関や士業の人間ではない者が同行するというだけで、取るべき調書の量と内容が不必要に膨らみ、入り組んでしまう。あちらから見れば、私と被害者がグルになって被疑者を貶めようという可能性もゼロではないのだ。

 少し話が逸れたが、「最低限の処置を伝え、被害者支援団体にバトンをつなぐ」だけでこの手の相談は大方完了する。NPO団体の相談員の方が当然ながら様々なところにコネもあるので話が早い。被害者支援団体はおおむね罪状と地域によってそれぞれ異なる。

 あとは細かい話として、警察官にあしらわれない*2為に出来ることなどについてお伝えもする。

 こういった相談は以前からごく稀に来る。ある程度警察官と折衝した経験のある者でないと状況を引っ掻き回して悪化させる可能性も否定できない。

 大昔にあったのが、交際相手が性犯罪被害に遭ったからと私刑に乗り出してしまった男性についての相談だった。心中は察するし、同じ立場ならと考えないことはないが、こうなると完全に弁護士マターだ。私に出来ることはほぼなかった。

 警察が動けないのはそれなりの理由がある。その理由さえ分かれば対処のしようがある。

 

 そういった意味では、警察が動けない事例はとにかく厄介だ。

 チンピラに追われている件については、本人自身は法に触れることはしていなかったことは記しておく。金銭が絡んでいる上に住所も割れていたので根回しが必要だったものの、そこは本人が能動的に動いていた。執拗な連絡等々は警察から警告可能だが、具体的な脅威がないと警察も動くに動けない。

 そして半グレ・反社案件は弁護士を選び、受任を断られることも珍しくない。この手の事件は「民事介入暴力」略して民暴と呼ばれる。これに対応出来る弁護士を探して相談することになるし、弁護士も複数人で対応する。

 今回のケースで必要だったのは、捜索しにきている可能性を踏まえて決着するまで姿を晦ますことと、凡ゆる意味で身を守る方法を身につけること。しかし護身用具の携行まで行くと軽犯罪法に抵触する恐れがあるからこちらからの勧奨は出来ない。頼まれれば、警棒や催涙スプレー、スタンガン等々の長所と短所など、機材の詳細も含め紹介はできるが、隠匿して携帯することへのリスクとベネフィットを天秤にかけてもらうほかない。

 そして、これから先裁判に発展する可能性を考えて、相手から接触を図ってきた際の記録の徹底も重要だ。また警察が動きにくい案件であっても、継続して相談することは裁判の証拠作りとしてもプラスになる。相談管理票*3を警察に作成してもらい、通し番号を控えた上でなるべく継続して積み上げていく。当然何かあればすぐに110番を含めて連絡する。

 

 相手と直接対話をするという場合には*4、近辺に不審な人物がいないか消毒*5した上で、すぐ動ける場所に配置する。

 そしてこちらが指定した場所に相手方に来てもらうのが鉄則。場所の選び方にもポイントがあるが割愛する。

 事案によってはこの直接接触が大きなターニングポイントになるために、焦りも大きくなる。彼らの常套手段として、(こちらが場所を決定する旨伝えていたとしても)直前に一方的に場所を指定してくる。

 そういった際でも相手の挑発に乗るべきではない。相手の土俵に乗り込むのはそれだけリスキーだからだ。

 常套手段とはいえ、直面すると肝が冷える。同伴者の焦りにこちらも飲まれそうになった。

 終わった後も周囲の消毒を忘れずに行い、安全を確保した上で脱出のゴーサインを出す。

 この行為も警備業法違反になる可能性がある。私は警備員指導教育責任者(1号)の資格を所持してはいるものの、これらの行為を「他人の需要に応じて」「反復継続して」「報酬を得る目的」でやるのは警備業者として警察から認定を貰っていなければ、無認定営業として摘発されるリスクがある。こういった前提知識がないまま誰かに手を差し伸べるのは、ゆくゆくは互いにとって不利益を齎しかねない。

 ゆえに、犯罪被害者の支援も含めてこれらはすべて、無報酬で行うことになった。

 

 具体的な内容はどれも書けない故、妙なノウハウのまとめ記事になった。

 今回の事案で用いた知識の一端となる。精神的な負担は確かに大きかったが、意義もあったし、誤解を恐れずに言えば、頂いた報酬を資金として、より精度と速度を伴ったサービスを高次元で提供出来るようになれば、より多くの人間を助けられるという手応えがあった。

 これを事業化したいという思いが日に日に強くなっている。ただ、必要となる資格取得も考えると準備期間には最低4年を要することも理解している。それも、漫然と過ごせばその期間は更に伸びてしまう。

 

 ヴィクトール・フランクル『夜の霧』はもはや説明不要の名著で世界各国で出版されているが、アメリカでは『Man’s Search For Meaning』直訳すれば、「生きる意味を探す」という題名で出版されたそうだ。

 夜と霧*6を抜けた今、やるべきことが明確に見えてきた。

 足を踏み外さず、いかに最短で目標を達成するか。

 考えるべきは今、ここだ。

*1:弁護士法第172条…弁護士又は弁護士法人でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、再調査の請求、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない。ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。

*2:信じられないが、犯罪捜査規範が全然頭に入っていないような地域警察官と接することが往々にしてある

*3:警察官に相談した内容がまとめられた書類。通し番号を振られ公的な記録として警察に保管され、2回以上同じ署で相談すると相談管理票に(継続)として折り重なっていく。都道府県警によって呼び方が違う。警察相談票・警察相談受理票とも。

*4:基本的にこれもこちら側から提案することはない

*5:尾行や待ち伏せがされていないか警戒することを指す

*6:元はナチス・ドイツによる政治犯検挙のための政令を指す