ラードの海に溺れて

めし、酒、本、映画

解像度(あるいは半可者の挽歌)

 また職が変わった。

 それまでは客先から委託を受けて無形商材を売る営業代行だった。会社で抱えているプロジェクトは様々だが、私が担当していたのは某IT企業での新規営業だった。不調だった時期はあるが、上司にも同僚にも恵まれていた。向こう三年は辞めるつもりなんかなかったのだ。何故転職に至ったのかといえば、まったくの偶然に過ぎない。飯を食べに行こうと言われ、顔を出しに行ったらあれよあれよと言う間に転職が決まった。そんな感じだ。最終的には間違いなく自分で選択したし、自分の責任なのだが、引きずり込まれた感は否めない。ともあれ、私は転職先でコーヒーを売ることになった。全くの門外漢どころか、率直に言ってコーヒーよりも紅茶のほうが好きなのだ。コーヒーは嫌いだ。と言っても、紅茶についてはダージリンアールグレイの区別さえ曖昧だった。苦くないもののほうが好き。それだけの理由だった。その日以降、社長は私を引き抜くためか、幾度か飲みに誘った。行きつけのバーへ面通しもされた。もうお前の意志は固まっているんだろうと言いたげだった。正直、面白そうと思った部分も大きかったのは否めなかった。

 

 実際転職してどうだったかといえば、詳細は控えるが、明確に間違いだったと言える。それが世界の全てだと言いたいのかと勘繰りたくなるほどに“飲む打つ買う”の話ばかりする人間と、品のない飲み方をする人間が率直に言って嫌いだ。私も粗相ばかりだが、飲み会の粗相は粗相以上でもそれ以下でもなく、本来であるならば墓に持っていって然るべきもののはずだ。でもそうは思ってない人もいて、諸先輩方は皆そのような性質の人間だった。

 

 会社の近くに社宅を借りた。こんな機会がなければ住もうだなんて一生思わなかったような場所だ。実際住んでみると、その気持ちはさらに強くなった。住みたい街ランキングの上位に食い込んでいる理由がわからない。あんなもの、田舎者か酔っ払いが作ったランキングに過ぎないのだ。少し解像度をあげてみると、ちょっと裏路地に入ればネズミが這っていて、緊急事態宣言前は、終電が過ぎると男も女も相席屋に吸い込まれていく。女にヘッドロックされた男が横丁に引き摺られるのを見た。渋谷のほうが汚いなら汚いなりに居直っているだけ素直なように思えた。前の職場に戻ろうか、あるいは昔の業界に戻ろうか考えあぐねいている。興味の有無は別として、今の仕事のインセンティブは他の追随を許さないのは確かだった。でも下町の古いアパートに移り住んで、ゆるく仕事して、帰りには銭湯入って、休日には近所を散歩するような生活がしたいという気持ちが頭を擡(もた)げているのも確かだ。たまに酒が飲めたらもっといい。行ってみたいバーが東京だけでも沢山ある。でも飲めなくなっても別に構わないという気もしている。

 

 閑話休題

 

 良いことと悪いことを差し引くと悪いことだけがそこに残ってしまうが、そう、でも悪いことばかりではなかった。食とコーヒーに対する解像度が若干だが上がってしまった。これは悲しい性の話なのだが、敬遠していたものでも、一度気になり始めると好奇心が勝ってきてしまう。転職してまもなく、私は家にコーヒーの器具を一通り揃え始めた。本もいくつか読んだ。youtubeの閲覧履歴はコーヒーに関する動画で埋め尽くされた。今では喫茶店に行って頼むのはブラックのコーヒーになった。頼むときに豆の種類が気になるようになった。アラビカ種100%なんて今となってはコンビニコーヒーも謳っているが、かつてはその意味が分からなかった。コーヒー豆にはどうやらアラビカ種とカネフォーラ(ロブスタ)種、リベリカ種の3つに集約されるらしい。コーヒーはコーヒーノキから出来る。まんまだ。コーヒーノキから成ったコーヒーチェリーからコーヒー豆を取り出し、焙煎することで皆が知っているコーヒーになる。コーヒー豆の取り出し方も様々だ。ナチュラルとウォッシュド、セミウォッシュド(ハニープロセス)。喫茶店で見かけてもそのまま素通りしてきた言葉たちが目の前で踊り出すような気持ちになった。外国語を読んで僅かばかりでも意味が拾える自分に驚く心境に近い。解像度が上がるにつれて世界は広がった。でもエチオピアか、ブラジルか、グアテマラか、ペルーか、あるいはタイか、産地の違いはいまだにピンと来ない。喫茶店に入ったらブラックのコーヒーを頼むようになったなんて、去年の自分に言っても信じてはくれないだろう。角砂糖を2個も3個も落としていた自分が? 入社後しばらくして、商品のテストのためにエスプレッソマシンのメーカーを2社梯子させてもらってエスプレッソを22杯試飲した。最後の2杯を口に含んだときにひどい耳鳴りがし始めて、その日は胸焼けで眠れなかった。しかしそのおかげで、ただ苦いだけと思っていたエスプレッソの良し悪しがなんとなく理解できるようになった。豆の種類と焙煎深度、そして器具と淹れ方に依るものの、エスプレッソからは苦味だけでなく、ふくよかな酸味も甘味も感じ取れることを知った。

 コーヒーを含んで舌全体、舌の裏側にも這わせて、鼻からゆっくりコーヒーの香りを抜いていく。ドリップでロブスタ種がブレンドコーヒーを試してみると、比較的すっきりと飲めるアラビカ種100%のそれに比べ、硬口蓋と軟口蓋の間に引っかかる苦味があるような気がする。まだうまく表現できないし、SCAJのフレーバーホイール*1も全然頭に入っていないければど、鼻から抜ける香りでロブスタ種の気配を感じ取れるようになった気がする。ふとコンビニのコーヒーマシンを見ると、直上にあるホッパー(豆受け)に黒々とした豆が詰まっていた。アクリルのホッパーはコーヒー豆から滲み出した油汚れがこびりついている。コーヒー豆はその焙煎深度によって豆からコーヒーオイルが滲み出してくる。深煎りであればあるほどそれは顕著になるんだっけ、とひとりごちた。そういえば、とあるエスプレッソマシンのメーカーにお邪魔した時、担当営業の方が「全自動のエスプレッソマシンはコーヒーの味の自動調整も行う」「煎りが深い豆を使うと、滲み出した油で豆が引っかかることがある。豆がひっかかると投入される豆の量にばらつきが出る。ばらついた状態で自動調整がかかると不調が出ることがある」なんて言ってたっけ。…詳しい理屈は忘れたが、言葉と目の前の映像がリンクする感覚があった。家でもコーヒーを飲むようになった。コーヒー豆を挽くために、家にボダム製の電動ミルと、TIMEMORE(タイムモア)製のハンドミルを買った。

 

 

 

深煎りの豆よりも浅煎りの豆のほうが実は硬いし、深煎りの豆は熱を加えられる過程で膨らんで体積が大きくなるが、浅煎りの豆の体積は深煎りの豆のそれより小さいままだ。ボダムの電動ミルを先に買ったが、浅煎りの豆を丸のまま吐き出すことが時折あったから、TIMEMOREを買い直したのだ。これが正解だった。少し値は張るが、同じ価格帯でこれよりも良いミルは恐らくないと思う。 

 ドリップスケール*2の上にガラスポットとV60ドリッパー(フィルター)を載せ、挽いた豆を淹れ、ドリップポット*3でお湯を注ぐ。時にはフレンチプレスで淹れることもあれば、ブリッカ*4で淹れることもある。

 いっとき、家でコーヒーを1日7〜8杯飲んでいた時期があった。コーヒーを飲むとお腹を下す体質だったからその意味でも避けていたけれど、その頃にはもう既に、仕事のストレスで下しているのか、コーヒーで下しているのかも曖昧になっていて、もはや気になることもなかった。気づいたときには身体が慣れていた。体質を好奇心とストレスでねじ伏せた。

 ゆく先々のコーヒー店で気になる豆があれば豆のまま買うようにもなった。月額いくらで毎月家にコーヒー豆を届けてくれるpostcoffeeなるサブスクリプションサービスにも登録してみた。毎月上旬に50gを3袋ずつコーヒー豆が送られてくる。パッケージに書かれているフレーバーノートには、例えばこんなことが書いてある。“Rosted Nut, Chocolate, Spice, Cherry”…タンザニアのアルーシャにある、標高1650mの農園で収穫され、ウォッシュドで加工された豆だそうだ。そのままドリップで飲んでも、挽きたてはうまいなあぐらいで、特にこれといって感想があるかと言えば正直出てこないのだが、フレーバーノートを見ながら飲むとなんとなく拾える気がしないでもない。気がしないでもないだけだ。誰かの言葉の上をなぞっているだけだ。分かっているつもりのことも教科書をなぞっているだけに過ぎない。でもそんなことを数ヶ月間繰り返していると何が起こるかと言うと、美味しくないものは美味しくないのだ、というトートロジーに行き当たる。ある時、街場のイタリアンで飯を食べ、食後のエスプレッソを頼むことがあった。けれどクレマは薄過ぎてすぐ消えた。エスプレッソマシンはあそこのメーカーだ。流量は足りてるようだからタンピングや粒度というよりは、豆が酸化してるのかもしれない。イタリアの本場っぽく砂糖は添えてあるけれど、とまで考えたところで、目の前にある相手が、私の目の前にあるエスプレッソカップを見て問いかけた「エスプレッソってそれだけしか入ってないんだ」コーヒー豆を細かくして、9気圧って高圧力でかなりの濃さで出すからこの程度しか出ないんだ。「それって美味しいの?」美味しいよ。美味しいやつは……とまで言ってハッとした。まるで、とか、みたい、なんて予防線を張るまでもなく、その時の自分は本当に嫌な奴だった。一丁前に何を考えていたのかと思うとゾッとした。そこに本質なんかないはずなのに。……たぶん。

 それと前後して、同年代同士で飯を食う機会があった。銀座のスペイン料理店だった。食後にコーヒーを飲むか、紅茶を飲むか訊かれて紅茶を頼んだら、出てきた紅茶がやたらと美味かった。言ってしまえば、自社の紅茶よりも断然気に入ってしまった。出てきた紅茶はどこのものかと聴くと、マリアージュフレールマルコポーロとのことだった。門外漢でも聞いたことがあるブランドだが、実際に飲むのは初めてだったと思う。向かいで一緒に飲んでいた男は、その場でその紅茶を通販で注文した。その時向かいにいた男は、それ以降気に入って常飲しているらしい。飲むたびに銀座のその店を思い出す。多分きっと、紅茶を飲むたびに私も思い出し続ける。女が男に花の名前を教えたり、あるいは男が女に煙草を教えるのにある種近いのかもしれない。その花は毎年その時期に咲き続けるし、煙草は女の肺と思い出を蝕み続ける。印象に残すということは、呪縛のそれに近い。エスプレッソが美味くないイタリアンという意味では、例の店も呪縛を残すのにある種成功してしまっている。皮肉な話だった。でもこれも、どこまでいったところで、私という半可者が知ったふうな口を利いた挙句、勝手に転げ回ってるだけの話だ。

 話が横道に逸れてしまったが、結局ここで書いているのは、自分の置かれた環境や、ことあるごとに目の前に差し迫る状況だったり、またその途上で野放図に取り込み続けてしまっている経験や付け焼き刃の知識の処理の仕方についての戸惑いに関する話だった。弊社には紅茶やワインの専門家はいても、本当のコーヒーに関する専門家は実は不在なのだ。これは掛け値なしの事実だった。もう、凡ゆる意味で何もかもが早過ぎたし、または遅過ぎた気がするし、あるいは適切なタイミングなんてハナからなかったような気がする。でも決断は得てして、何もかもが足りてないところから為されるものなんだろう。今回の、あるいは今までの自分の転職のように。これは私の話でもあるし、会社の事業立ち上げに関する話でもあるし、会社全体の話でもあるし、たぶん凡ゆることに準用可能な話だ。

 

(所要時間:1時間15分)

 

 

 

*1:ある食品から感じられる香りや味の特徴を、類似性や専門性を考慮して円状かつ層状に並べたもの。味や香りについて共通認識を持ち、コミュニケーションする手段として用いられる。コーヒーのほか、ウイスキーやビール、ワインにも類似のものが存在する

*2:コーヒー屋さんが使う、タイマーと秤の機能が一体になったもの。コーヒーをハンドドリップで入れる場合、経過時間と注ぐお湯の重さを測りながら決まった手順で行う。15gの中挽きのコーヒー豆に、200mlのお湯を60ml/60ml/80mlの3投に分け、30秒蒸らしでトータル2分30秒になるよう注ぐ、など。

*3:細口のお湯注ぐやつ

*4:ボイラーに似た原理でコーヒーを出す、直火式のエスプレッソ(モカコーヒー)メーカー