ラードの海に溺れて

めし、酒、本、映画

ひとり飲むこと。

 古い友人と酒を酌み交わしているときに、「そういえば、なんでこいつと仲良くなったんだっけ?」と、ふと思うことがある。

 つい相手に訊いてみたりもするんだけど、相手の記憶も曖昧で、お互いにお代わりのハイボールを飲み干す頃には、そんなこともどうでもよくなっているのが常だった。

 古い友人と出会ったきっかけよりも、そいつと飲み屋の前で別れたあと、街を彷徨いているときに出くわした、今では顔も思い出せない女とゆきずりで夜の街を歩いたことのほうが印象的だったりする。出会い方が印象的であればあるほど、むしろそれからの関係は希薄になりがちなのかもしれない。

 渋谷川のほとりにあるバーを、終電が過ぎ去ったあとに出た。明治通りを何を喋るでもなく一緒に歩く。ここが円山町だったら話は早かったかもしれない。でも結局は同じだった。

 結局その女とは、2度か3度酒を飲んだっきり会っていない。覚えているのは鎖骨の下に黒子があることぐらい。最近流行りの歌じゃあないが、何かの花の匂いがしたのを覚えている。連絡先さえもまともに交換してなかったから、むしろ2度目があるほうが不思議だった。少し前の話だった。

 

 閑話休題

 

 わたしは今年で26歳になったが、バーとの付き合いは実のところ、一昨年の10月に遡る。高校生の時分から付き合っていた彼女と別れたのがきっかけだった。

 バーには元々憧れがあったが、ずっと行けずじまいだった。当時の彼女に首ったけだったし、何よりバーの重そうな扉を開く勇気がなかった。

 今となっては恥ずかしい話だが、自分なりに、彼女と別れたからとやけになったところもあるのだろう。いくつか行ってみたいバーをピックアップし、そのうちの一つに行ってみた。たしか、新橋のシガーバーだった気がする。慣れない強い酒と、ほぼ初めての葉巻。店を出たあとに、新橋駅でものの見事に撃沈した。意識が朦朧として手足がしびれた。病院のお世話にならなくてよかった。よく生きて帰ってこれたと思う。

 次の日の朝、別れたばかりの彼女から連絡が来ていた。

「頭おかしいんじゃないの?」

 酔った勢いで連絡していたらしい。本当に情けなかった。

 

 同じ時期ぐらいに、渋谷川のほとりにあるバーに行った。

 水曜日の開店直後だった。

 今まで入ったどのお店よりも店内は暗かった。綺麗な木目のバーカウンターと、バックバーにだけライティングがされていて、酒の瓶がきらきらと輝いて、その明暗の差に目がちかちかしたのを覚えている。

 後から知ったが、バーの中でもオーセンティックバーと呼ばれる部類の店だった。

 そこでわたしはあろうことか、「バーには全然行ったことがない。勉強させてほしい」と頭を下げた覚えがある。バーテンダーはそれを肯定してくれた…と思う。今となっては、なんて言われたかはっきりとは思い出せないが。

 それから、おおよそ月に1度くらいのペースで通っている。

 

 いつからか、名前を呼んでくれるようになった。

 最初は名字にさん付けだったけど、そのうち苗字にくん付けで呼んでくれるようになった。

 他のバーに冒険しようとしたこともあるが、結局ここに戻ってきてしまう。勉強させてくれと頼んだのに、このバーテンダーは、食事を済ませてきたかどうか、どのスピリッツをベースにするか、重めか軽めか、甘いか甘くないか、を訊いて、カクテルを出してくれる。カクテルの名前は教えてもらっていない。名前なんてないのだろう。勉強になんてならない。間違いのない店だが、最初の一軒目としてはあまりよくなかったようだ。

 1杯目はジンフィズと決まっている。2杯目は決まっていない。ある時ウイスキーをストレートでお願いしたら、「君はウイスキーも飲むんですか!」と驚かれた。ふふん、シガーバーにも出入りするようになって、ちょっとだけ覚えたのだ。といっても、こういうときに何も見ずに頼めるのは、カリラぐらいなもんだけど。

 

 去年12月の頭に、渋谷川のほとりのバーに行った。

 ひょんなことから、わたしの名刺をバーテンダーに渡したのだが、

「うちに来てくれるようになってしばらく経つけど、君が名刺をくれたのは初めてだね」

と言われた。たしかに、店に通うようになって間もない頃にバーテンダーから名刺を頂戴したことはあったが、こちらから渡すことはなかった。

 渡すきっかけも、お酒にまつわる繋がりからだった。タイミングを見て押し付けようとした、というよりは、わたしが帰ったあとに来るであろう、ある人物への置き手紙としてだったけれど。

 

 つい最近、そのバーの近くに引っ越した。家賃は倍になって部屋の広さは前の家の1/3になった。土岐麻子の歌みたいだと思った。流石に17平米よりは広いけど。

 

 お気に入りのお店に歩いていける距離になった。

 このあたりに引っ越した、と話したら「営業が締まったら今度飲みに行きましょう」と言ってくれた。リップサービスは1/3くらいはもしかしたら含まれているとは思う。何にせよ、締め作業が終わったあたりで時間は3時を過ぎる。「終わった後はだらだらと辛気臭く飲んでるだけですけどね」と言っていた。けれど薄暗いバーで、せっかく美味しいカクテルが目の前にあるのに隣の人間と腹の探り合いして、そのうち何を飲んでいるのかさえ曖昧にしていくよりよっぽど良いように思えた。

 終電が関係なくなったかと思えば、忌まわしい感染症の煽りで22時には店仕舞いになる。一番辛かった緊急事態宣言中を乗り越えたお店だから絶対生き残ってくれると思うけど、やっぱり心配になる。自分が出来ることはあまりにも少ない。

 

 どこの店に行っても、僕とお店の人とでサシになれば、出てくる話はだいたいいつも同じだった。でも話せるだけいいのだ。行きたかった店も好きだった店も、少なからず消えてしまったのだから。

 

 下北沢でお気に入りのイタリアンがあって通い詰めていたが、そこで働いていてよく声をかけてくれていたシェフが奥渋谷で独立した。でも独立してすぐに世の中は自粛ムードになった。

 今年の緊急事態宣言前夜、顔を出した。22時には店を閉め、シェフと、福島から出てきたばかりのもう一人の若い子が締め作業をしながら、僕に不安を吐露してくれた。

 ここでその内容に触れることほど無粋なことはないので詳細は省く。でも端的に言って、通常客にする話ではないことは確かだった。それはシェフと僕との間の関係があっての話で、それでもしばらく足は遠のいた。

 宣言のせいにも出来たが、素直なことを言ってしまうと少し気が引けたのは確かだった。でもそう思ってしまうことさえ、ちょっとした裏切りのような気がして後ろめたかった。それ以降は夏に会社の先輩と一緒に顔を出したっきりだ。

 このあいだその店に飛び込みで顔を出したら、忙しい中「おー!!!」と言ってハグしてくれた。予約で埋まる日も珍しくなくなってきたと云う。以前いた若い子はいなくなっていて、僕と同年代ぐらいの、腕の良い頼れるシェフと一緒に店を回している。今が一番楽しいんだと彼は云った。

 気持ちが落ちていた時期を垣間見ていたぶん、正直安堵した。この感情を「嬉しい」と呼べるほど流石に僕も図々しくはない。いつかの福島の子の行方も聞くのは野暮だった。行きつけのバーでマスターとずっと一緒にやっていた人もいつの日か見なくなった。生きてくれていたらそれでいい、というのもずるい気がした。

 

 自分にできることは結局のところ、幾ばくかの対価をお渡しすることと、ささやかな祈りしかないのだ。