ラードの海に溺れて

めし、酒、本、映画

働きながら酒を飲むことについて

お題「わたしの仕事場」

 

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

 拝読した。

 

 一応スーツ着て営業をやっていた自分も遂にリモートワークと相成った。普段何の気なしに使っていたオフィスの椅子が実は数万する、ということに気付かされた。オフィスの机がとある理由から家に欲しくてたまらなかったのだが、リモートワークになってから初めて値段を調べたらひっくり返った。もはや警備会社の初任給ではないか。半額ぐらいなら考えもしたが。もう腰が痛いし猫背もひどくなる一方なのだ。死ぬか買うか、それだけが今問題だ。

 とは言えそれでも、酒を飲まなくても仕事はやっていけている。

 リモートワークになるずっと前、対面商談で相手方からサンプルのお酒をいただくことがあった。1杯1杯は数ml程度だったが、蒸留酒の飲み比べで、合計してワンショットほどとなればそこそこの量だ。私と上司は酔っ払った状態で午後の業務に取り組むことになった。その日の午後はめちゃくちゃ進捗が出た。リラックスして業務に取り組むことで、言葉がつんのめらずに本腰の商談に望めてしまったのだ。

「今日は調子がよい」とその日は冗談めかして同僚に話していたりもしたのだが、自分の口を突いて出た言葉にハッとしてしまった。

 昔を思い出してしまったのだ。

 私は今年で20代も半ばを過ぎたが、私が働き始めたのは小学4年生の頃だ。夏休みや冬休み中は、小田急の始発に乗って親父の職場に駆り出され、夕方には開放されるという生活を送っていた。時給400円で。

 これは高校3年生まで続いた。流石に高校生になってからは時給は950円に上がった。とは言え、小学生の時分は長期休み中だけだったのが、中学生になってからは夕方から閉店までと時間帯を変え、週4〜5で働かされたのを覚えている。時給の値上げは父親からの提案だったが給料は遅配し続けた。これならコンビニで働いたほうがいくらかマシだった。それでも私はまだましな方だ。私の兄貴は父親の都合で学校を休まされたりもしていた。気の毒だった。

  この時期のことと言えば、職場で元従業員から脅迫電話を受けて父親に警察署に連れて行かれたり、借金取りに追われるあまり中学校を早退(中退、ではない)させられたりもしたが、このあたりも特筆すべきところはこれくらいだったと思う。特に波乱もなかった。抑うつ状態で小田原に逃げ、コンビニでビニール紐を買って山中を彷徨ったがその日のうちに帰宅したということはあった。五千円しかなかったのであっという間に尽きてしまったのだった。とりあえずビニール紐で首は吊ってみたが枝が折れた。私が今このブログエントリを書いているのもそのせいだ。

 遠い昔の話なので、このあたりはいい加減記憶も薄れてきたのだが、その就労経験の中で色々な人を目にしてきた。詳細は割愛するが、警備員時代に会ってきた人たちとそう遠くはない座標にいた。(それでも店舗責任者は流石に比較的真っ当な人だったが)

 

inudog-toribird.hatenablog.com

 

 そう、その中にひとりかふたりいたのだ。飲みながら酒を飲む人が。

 そのうちの一人は本当に仕事が早い人で、出勤前に一杯引っ掛けてくるぐらいだったので可愛いものだったが、もうひとりが曲者だった。

 常にサンガリアの安いお茶の缶と、自分のリュックを肌身離さず持っている従業員がいた。年は今から10年ほど前の時点で50代半ばだったかと思う。当時中学生だった自分はピンと来なかったが、兄貴が見たようだった。

「あのリュックの中には大五郎の大きなボトルが入っていて、隙を見てはサンガリアのお茶の缶に大五郎を移し替えているんだ」

 飲まないと手が震えてしまうのだそうだ。飲んでても手が震えてたけれど。

 飲んだほうが調子がいいらしい。

 人材不足だったのでそれでも働けていたが、その人は経歴を詐称していたらしく、居づらくなったのかそのうち結局見なくなった。

 高校3年生になってからは父親に訴えて仕事はやめさせてもらった。コンビニで働き始めたら、従業員が皆明るい上に給料の遅配がないので甚く感動したのを覚えている。四六時中酔っ払っている深夜帯の先輩はちょっと困った人だったが、そういう人は父親の職場である程度慣れていたので2年ほどはなんとかなった。結局は何も解決しなかったが。

 その後、私は警備会社を渡り歩くことになるが、酒を飲みながら仕事するやつはやっぱりいた。

 ある時、私はとある新規案件の立ち上げ要員として仕事を任された。他の警備会社からうちへの契約更改というちょっと胡散臭い案件だった。

 警備会社の入れ替えの際は、引き継ぎはあまりまともに行われないのが通例だ。クライアントから引き継ぎをするよう、元の警備会社に要望することは当然あるが、それも形だけの場合が多い。契約を更新してくれなかった会社の言うことなんて聞く義理ないからだ。

 紙の資料は破棄されてしかるべきだし、引き継ぎの際は他社の警備員とは一切口を利くなと指示されることも珍しくない。だから警備指示書(マニュアル)はクライアントの指示があっても完全版は渡せない。渡すにしても重要なページは間引いたものになる。

 ……それがその現場については、みんながみんな良くしてくれるのだった。

 元々いた警備員が入れ替え先の警備会社に引き抜かれることも確かに珍しくはない。慣れた職場を離れたくないというニーズはあるし、こちら側としても、ノウハウを持っている人間を取り込めればそれだけ滑り出しは好調になるからだ。

  その中に、人の良さそうなおじさんがいた。

 その現場に対する見識も深いし人当たりもいい。移籍を希望していて、こっちからまだ呼んですらないタイミングでうちの事務所に顔を出しにさえきた。

 私と一緒に現場立ち上げに動いていた上司は怪しんでいた。

 そして私は、入れ替え前の警備会社の隊員が、「休憩時間毎に」アルコール呼気探知機に息を吹き込み、帳簿に○を書き込んでいるのを発見した。

「それは、クライアントの指示ですか?」

 色々な意味で特殊な現場だったから、そういった可能性もなくはないかと思って隊員に聞いてみたら「いや、まあ……」と濁された。

 結局のところ、人の良さそうなおじさんがすべての発端だった。

 彼は完全なアル中だった。

 施設警備員は確かに24時間の当直勤務や夜勤が多い。夜勤明けや当直明けの明るい時間に酒を飲むこと自体はよくあることだった。

 ただ、警察や消防・医療従事者のようにちゃんとバッファが取られている職場なら夜勤退勤後は「非番」として自由に過ごせるが、警備員のように未来永劫人手不足の職業では、「非番」のない「夜勤明け夜勤」というのも珍しくなかった。

 いや、夜勤明け夜勤はまだ楽なほうだった。当直(当務)明け日勤、明け夜勤、明け当務。

 夜勤が終わり、朝一旦帰宅してシャワーを浴びて昼寝したら夕方からまた出勤。

 非番に酒を飲むのが習慣になってしまうと、この流れでうっかり飲んでしまうこともなくはない。

 松屋にビールが置いてあるのを見て、松屋で誰がビールなんか飲むんだろうと考えたことはあるだろうか。あれはかつては我々が飲むものだった。

 彼と同じ壊れ方をする人はたまに見る。

 仕事の合間だけだったのが、徐々に間隔も縮まっていったのだ。出勤時の呼気検査を乗り越えれば酒が飲めるなんて浅知恵で、それもすぐに露呈して現状があるのは明白だった。

 移籍の条件は元の警備会社との円満退職だったのだが、結局彼はうちに移籍する前に飲酒で元の警備会社を解雇された。結局移籍するまでの僅かな間も彼は我慢できなかったのだった。彼の行方も杳として知れない。

 どの職場にも絶対ひとりは酒を飲んでいる奴がいるという強い思い込みがあったが、今の職場には酒を飲みながら仕事している人が全然いなくて感心した。聞いてみればこれが当たり前らしい。どうやら別の宇宙に来てしまったようだった。

 

 リモートワークが始まった。飲ん兵衛の同僚は免許の更新の際、アルコールについての質問を馬鹿正直に答えてしまって別室に呼び出されるくらい愉快な奴だが、ある時zoomミーティングで彼はこぼした。

「もう飲みながら仕事しようかな。そっちのほうが調子がいい気がする」

 やめておけ、と言っておいた。戻ってこれなくなってしまうから。

 

 

 聞いてもないのに朝から「調子がいい」と口走る奴は8〜9割飲んでるから気をつけろ。

 私に言えるのはここまでだ。

 

サンガリア あなたのお茶 190g×30本
 

 

 

大五郎 25度 4000ml

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