韓国映画をよく観るんですが。
Netflixで独占配信されている韓国映画「鋼鉄の雨」を観た。
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本国では結構受けたらしい。新宿ピカデリーで上映されても良かったと思うが、Netflixが版権を独占したようだ。自宅のSONY製27インチテレビで見るのも悪かないが、ちょっと寂しい感じもする。
この映画は韓国のWeb漫画を原作にしているが、北朝鮮内の政変により第二次朝鮮戦争開戦(正確には現在に至るまで停戦中のため、「再開」になる)の危機を迎える……といった超ざっくりな大枠だけ一緒で、映画とは全然中身が違う。映画の方は、金正恩をモデルとした『北の一号*1』を反逆勢力が直接殺しに行くが、漫画は金正日が急逝するところから始まる。
大昔に自分も日本語に翻訳されたweb漫画を読んだ覚えが薄っすらとある。なにせこの漫画、連載も終盤を迎える頃に、実際に金正日が急逝したからだ。情勢も相まって日本でもほんのちょっとだけ話題になった。内容は全然覚えていないし、国内での公開も終了してしまったが。
映画版「鋼鉄の雨」は、米軍のMLRSが、韓国兵に扮した北朝鮮工作員によって乗っ取られ、開城工業団地の式典に出席していた『北の一号』暗殺のために発射されるのがこの映画の始まりだ。
MLRSという兵器はざっくり述べると、親・子に分かれるロケットを発射する面制圧兵器と呼ばれるものになる。このロケットを上空で炸裂させることで、子爆弾の弾片を降り注がせ、兵員や軟装甲車両を100*200mの広範囲に渡って殺傷させるものだ。これが過去の湾岸戦争でも猛威を振るい、当時のイラク軍から『鋼鉄の雨』と呼ばれ恐れられた。
これが映画のタイトルとも繋がっている。
陰謀を掴んでいた偵察総局*2からクーデターの首魁を暗殺する命を受け、開城工業団地に居合わせていた元エリート工作員のオム・チョルウ。(演:チョン・ウソン)
鋼鉄の雨によって負傷した北の一号を匿うため、駐朝鮮中国大使が逃げるのに乗じて韓国の国境を渡った彼は、青瓦台外交安保秘書室*3の補佐官クァク・チョルウ(演:クァク・ドウォン)と共に、朝鮮戦争阻止に向けて動き出す…というのが、主だったあらすじだ。
この南北バディものとも言うべきジャンルは韓国では割とお約束感がある。
近年公開されたものだと、ハン・ソッキュ×ハ・ジョンウW主演の「ベルリン・ファイル」、
ヒョンビン×ユ・ヘジンの「コンフィデンシャル 共助」
それぞれ韓国の興行収入は好調だった。「ベルリンファイル」や「コンフィデンシャル 共助」は(背景はともかくとしても)日本人が観て楽しめる、アクション映画の快作だ。
ただこの2作品、南北バディもののジャンルムービーとして作られた側面もある。
2000年より以前だったら、韓国でもこれらの作品は受け入れられなかったろう。韓国人にとって、金大中・盧武鉉政権と続く太陽政策と、南北の分断を兵士同士の友情や悲恋で描いた「JSA」や「シュリ」の大ヒットにより、それまでの反共教育を跳ね返し、若年層の対北感情が緩和された背景がある。Netflixで独占配信されている「恋の不時着」はある意味その極地と言えるかも知れない。あれについての具体的なコメントは差し控えるが。
「鋼鉄の雨」も当然その流れは組んでいるものの、南北…韓半島が抱えているジレンマに直面し、その狭間で選択を強いられる主人公たちが主題だ。
切っても切れないアメリカの影、南北統一、自立、真の独立。
序盤、補佐官クァク・チョルウが大学生に向けて講義を行うシーンがある。制作側のネガティブな対日感情が伺えるシーンだが、対日イデオロギー(コンプレックスのほうが近いかもしれない)を南は経済成長で乗り越えたのに対し、北はそれを核開発によって乗り越えようとした、という持論を展開する。
そして映画の結末は、南の統一省の役人と北の内閣総理が会談し、互いの「落としどころ」を話し合ったところで幕が降りる。この結末と序盤の講義は連動する。
この映画の論評については、シン・ゴジラと絡めて書かれたものがあり、そちらのほうが分かりやすいので一度読んでみてほしい。
映画としてはイデオロギーの部分を横に置けば、比較的綺麗にまとまっていた。
何よりクァク・チョルウ演じるクァク・ドウォンの男泣きに胸を打たれた。そもそもチョン・ウソンとクァク・ドウォンは「アシュラ」という映画で因縁の関係(の役柄)だったのだ。
チョン・ウソンのようなハンサムな男が無様に打ちぶれていく様も最高な映画だったけど、何よりクァク・ドウォン演じる検事の底意地の悪いこと!*4
チョン・ウソン演じる汚職刑事を呼び出し、一方的に封筒で頭をしばき続けるクァク・ドウォンのシーンはこの映画屈指の名シーンだ。
「哭声/コクソン」で主演を張ったときは、ちょっと抜けている家族思いの地方警察官を演じたが、韓国映画を観続けている側からすれば、クァク・ドウォンと言えば韓国映画界が誇る嫌味なおっさんを演じさせたら右に出るものはいない名バイプレイヤーなのだ。*5
上記の「ベルリンファイル」でも端役ではあるが嫌味な韓国国家情報院の調査官を演じているし、「ある会社員」という映画でも、これまた嫌味な上司を演じている。
口の中に含んでいた氷を氷嚢の中に入れ、それを主人公の傷口に当てる様とか厭らしすぎてもはや天才。
「悪いやつら」という、盧泰愚政権下で翻弄される韓国マフィアを描いた作品でも、クァク・ドウォンは検事役として出演。PVからすでにオーラを解き放っている。
この映画、時代の空気感が最高だ。監督は空気感にこだわるためにスーツを何着も仕立てさせたそうだ。鑑賞の際のポイントにしてもいいだろう。
また、「哭声/コクソン」のナ・ホンジン監督作品「哀しき獣」も、ちょっとしか出演していないが、強烈な印象を観客に見せつけた。(PVでもちょっと出てる)
殺し屋にぶっ殺される、ちょっと癖のあるキーマンとして。
クァク・ドウォンが偉い人を演じるときはだいたい碌でもないヤツと自分の中で相場が決まっていたが、 彼が演じる、「鋼鉄の雨」に出てくる補佐官はめちゃくちゃいいヤツなのだ。別れた元妻を「性悪女」という名前で携帯に登録し、腹が減っている北の工作員の前で米帝の象徴たるハンバーガーをもしゃもしゃ食う神経の太さは持ち合わせているが。
チョルウという同じ名前、奇妙な境遇を経て信頼関係を築いた2人は最後の戦いに挑む。「戦争を起こしてはならない」という目的のために。
韓国映画はブロマンス的な要素がかなり強い作品が散見される。最近はいくらか重視されなくなったようだが、どこの家でも家系図を抱えているという父系血縁原理が今もなお息づく韓国では、義兄弟の絆をテーマにした作品も数多い。
(これを皮肉ったのが「悪いやつら」という作品。税関に務める一介の地方公務員でしかなかった男が、家系図を盾に遠縁のヤクザと手を組んで悪事を働くストーリーだ)
もともと年長者を敬う儒教文化も相当根強い*6ため、「アシュラ」しかり、「新しき世界」しかり、言ってしまえば、ある種ホモソーシャル的なストーリーがバシッとハマる。
ホモソーシャルが根底にある作品は、ハリウッドにも「エクスペンダブルズ」を始めいくつかあって私自身大好きだけれども、その一方で、その価値観に飲まれ、すり潰されてしまっている人もいる。先のジャンルムービー云々に絡めて話せば、「集団強姦された娘のために復讐する父親/母親」というジャンルも韓国で確立されていて、実在の事件をモデルにした作品も珍しくない。東野圭吾原作の「さまよう刃」は韓国でもリメイクされて大きな反響があった。Webコミックでも定番の題材だ。良くも悪くも。
このジャンルが普及する社会背景や、そもそもそういった社会背景をこのような形で消費している構造が息づいている今がある。
また、そうした背景から醸成された、歪な司法を痛烈に批判した作品として、『トガニ 幼き瞳の告発』という実話を元にした映画が上映された。この映画は韓国世論を動かし、この映画をきっかけに児童に対する性犯罪の公訴時効が撤廃され*7、映画の元になった実際の事件の被疑者は実刑判決を受けるまで影響を及ぼした。
この映画を初めて観た日の晩に観た夢は最悪だった。
作品が日本で上映されたときには、この映画は韓国世論を動かした!と鳴り物入りで宣伝されていたから、無念極まりないラストでもある意味救いはあったが、これが韓国で上映されたときは、まだ何も解決していなかったと思うと胸が痛む。
映画が世論を動かし、司法までも変えてしまう力があるというのは、すっかり弱体化してしまった邦画市場からすると羨ましいような、なんとも言えない気持ちにはなる。世論で揺れ動く司法も、ある意味では恐ろしさとも取れてしまうから。
ただ、問題の提起と内省と、エンターテインメントを高い水準で両立している韓国映画界のポテンシャルは計り知れない。「パラサイト 半地下の家族」が日本でもまた話題になった。韓国映画を食わず嫌いする人が減ってくれればと思う。
韓国映画は、2000年代初頭のパク・チャヌク監督作品のヒットや、「哭声/コクソン」の日本での大ヒットを経てもまだマイナーだ。
また、韓国の映画とドラマとでは出演する俳優の層があまり重ならない。韓流ブームの主流は恋愛ドラマで、韓国映画ファンは新大久保に通う韓流ファンとは分かり会えないという孤独がある。泥臭く、暗い話ばかりだしその上暴力描写が苛烈……というイメージが未だに根強く、そしてそれは大体に於いて正しいからだ。
韓国版「96時間」と話題になった「アジョシ」もアクションがバキバキの快作だが、導入や中盤の敵勢力の煽りがあんまりにも重すぎて、「アジョシ」観てテンションがぶち上がったのはボンクラ映画勢だけで普通のカップルはドン引きする悲劇があった(自社調べ)
これはこれで韓国映画の魅力だと思っているが、共感を得られたことがあんまりない。
この映画、岡田准一主演で日本でもリメイクしてくれないだろうか。