地の底に身を置いて
1
職場で酒を飲んでたのがバレて店長に激詰めされたり、バイトの女子高生に告白して断られ、挙句の果てにはその子が逃げるように退職していってしまうたびに、自前のスミス・アンド・ウェッソンのロゴが入った折り畳みナイフを研いでは自分の腕を切り刻み、腕を包帯でぐるぐる巻きにして出勤してくるおっさんと2年程一緒に働いていた。包帯に血がにじんでるのを店長に指摘されると彼は拗ねた。
夜勤上がりには、店で酒を買って帰るのが日課だった。
パンチのきいた先輩だった。
仕事中にヘラって納品されたばかりの商品をゴミ箱に叩き込んだり、客に喧嘩売りはじめちゃった時のフォローもそれはそれで愉快だったが、ただ、バックヤードにたまに血をこぼされるのは流石にきつかった。
何より、客と揉める奴は、同僚とも揉める。
結局僕の方が音を上げて退職してしまった。19歳の時だ。
ちなみにそのおっさんは無事その職場をクビになり、今では車屋さんで働いていると風の噂で聞いた。本当に大丈夫なのかな。毎朝?いや、2時間毎ぐらいに呼気検査やったほうがいい。
酒が残ってるかどうかじゃねえ。奴は就業時間中に飲みやがるんだ。
2
退職から申し込み済みの合宿免許まで暫く間が空いてしまったので、その間は働き口を探しつつ、日雇い派遣で食いつないでいた。
だいたいは交通費なしで日給7~8千円程度。どこぞの浮島にある家具屋の物流センターでの出荷作業とか、弁当工場の夜勤とか。
早朝、新宿から貸バスに乗り込んで、長野のエムウェーブでコンサートの設営の仕事もあった。次の日の朝4時に、新宿・コクーンタワーのあたりで解放されたあと、這う這うの体で歌舞伎町を彷徨いもしたが、ピンサロか何かのキャッチに声をかけられたところで、そんな気は一切起きなかったのを覚えている。
とまれ、どれもこれもしょっぱいネタばかりだったけれど、その中でも、まだマシな仕事があった。
冷蔵倉庫でのおでんシール貼り作業だ。
コンビニ各社がこぞっておでん70円均一セールをやる8~9月頃になると、こういったネタが期間限定で入ってくる。
時給1200円程度+深夜手当で晩から朝まで
海老名駅から送迎
ダウンジャケットと帽子持参
日当1万ちょっと。全日程入ればいい稼ぎ。
もう何年も前もことで、細かいところは覚えてない。ただ、その時の求人メールの見出しは印象に残っている。
「期間限定!涼しい倉庫で軽作業!!人気の現場です」
冷蔵倉庫の気温は、後から聞いたら5~6℃程度。
涼しいどころの騒ぎじゃねえだろ、バカ野郎。
冬物のダウンとニット帽を引っ張りだし、リュックに詰め込んで小田急に乗った。
工事中の海老名駅西口の階段を降りる前、ふと顔を上げると、遠くには開業を控えたららぽーと海老名が見えた。
昼間は暑いくらいだったが、夜は気持ちのいい風が吹いていた。
集合は20時だったが、駅に着いたのは19時前。
蕎麦屋で腹ごしらえをしてもなお、乗り込む貸バスが来るまでだいぶ時間があった。
階段を降りたところに立ち並ぶ、プラスチックの柵に寄りかかる。
もう少し時間が遅ければ、同じくバスを待つ派遣スタッフがうろついているだろうが、そこにいたのは、僕と、酷い猫背のおっさんぐらいしかいなかった。
彼も日雇い派遣の口だろう。別に構うことはない。僕はプラスチック柵に頬杖をつき、小説家になろうで異世界転生ものを読んでいた。
「あんちゃん、真面目そうやなあ」
駅の階段に腰掛け、メビウスをずっとぱかぱかと吸っていたおっさんが、いつのまにか傍まで来ていた。頬杖をついてぼんやりと携帯を見てる小僧の、どこがそう見えたのかは分からない。嫌味のようにも聞こえた。
そのおっさんの見た目の印象は、言っちゃあ悪いが、仏教の六道三悪趣・餓鬼そのもの。
なんて、他人のことをこうして形容することに、抵抗を示す人も多いだろうが、このおっさんとは因縁がある。
それに今となっては、そのおっさんももう死んでるはずだ。
3
おっさん曰く、
「神奈川県内の病院で夜勤受付の仕事がある」
「以前勤めていた警備会社の部長が千葉で独立した。そこのヤマだ」
「警備会社のヤマだが、ただの夜勤バイトだ。警備員として働くわけじゃない。電話番と軽い受付ぐらいしかやることがない」
神戸の生まれだというおっさんが言っていたのは、おおよそこんな内容だった。
その頃、1日1食に抑えつつ、当時付き合っていた彼女の仕事終わりに駅前まで迎えに行き、ラーメンを食わしてもらうくらいに困窮していた自分はこれに食いついた。
本来ならば、コンビニの退職をもう少し遅らせるべきだった。貯金をつぎ込んで合宿免許の取得することになっていたのだ。退職のタイミングは考えうる限り最悪だった。
結局その時は調整がつかなかったので、この期間中は日雇い派遣で食いつないでいたのだが、合宿免許が終わったタイミングでおっさんに連絡することになった。
そのおっさんの知り合いの警備会社社長とは、横浜駅で会った。
ツーブロックの恰幅のいい40代男性だった。若いねえ、いいねえ、という通り一遍の世辞のあと、社長が本題に切り込んだ。
結論から言ってしまえば、聞いていた話とは何もかもが違っていた。
社長曰く、
「病院の夜勤については話がまだまとまっていない」
「それまでのつなぎとして、板橋のスーパーで交通誘導の仕事を用意した」
「雇用形態はアルバイトだけど、君なら社員登用もしてあげられると思う。3年働けば独立もできるよ。どうだろう」
どうだろうじゃあねえんだよ。
しかし、千葉から横浜くんだりまで来ている恰幅のよいおっさんはそこそこ強面だった。俺をこの会に誘った禿のおっさんは、しばらくジッと考えたあと、「病院の夜勤仕事が決まるまでのつなぎ、っちゅうことやな」と確認を取った。その確認にはなんの意味があるんだ?ええ?
なんてことは20歳にもならないガキには言えなかった。
「話が違うな……」とは思ったが、ここでやっぱり帰りますと言える雰囲気でもない。秋葉原のエウリアンにラッセンの絵を売りつけられそうになった16歳の頃を思い出した。その時は年齢故にローンが組めないということで、クリアファイルを売りつけられるだけで済んだものの、人はこうしてドツボにハマっていくんだろうな、という予感があった。そしてそれは的中した。
千葉の会社の所在地と入る現場の確認を済ませたあと、社長と禿のおっさんが同じ会社だった時の昔話に興じ始めたが、
「当時の同僚から深夜突然電話がかかってきて、何か喚いていたから必死になだめたが、次の日の朝に飛び降り自殺してしまったってことがあったよな」
「あったなあ」
「あいつはのろまで、死ぬ度胸があるやつじゃなかった。酔った勢いでベランダから下を覗き込んで、うっかり落ちちまったのさ……」
などと話し始めて、話がまとまった後にする話じゃねえだろ、せめて俺が帰ってからにしろよ気が狂ってんのか?と思ったものの、20歳にもならないガキには何も言えなかった。
4
結局私は、そんなことがあってもなお、ちゃんと千葉の営業所に顔を出してしまった。
禿のおっさんの見立て通りだ。妙な真面目さが完全に裏目に出た。なんなら集合時間の1時間半に営業所に到着してしまった。
もっとちゃんとしたオフィスのようなものを想像していたが、到着してみたらただのマンションだった。何かの間違いかと思って建物の前をウロウロしていると、明らかに二日酔いですという面をした、よれよれのワイシャツを着た社長が現れた。横浜駅で会ったときとはえらい違いだ。
マンションの向かいにはセブンイレブンがあった。
「朝ごはんは食べたかい?」
「いえ、まだです」
「なら何か食べるかい? いいよ、好きなの選びなさい」
早く来すぎた挙げ句に気を使わせちゃったな、という気持ちが芽生えた。
「神奈川からこっちに来るの、大変だったでしょう」
「はあ」
「警備員の仕事は初めてだっけ?」
「はあ」
「先にうちに入って、ご飯食べてていいよ」
事務所とされる部屋に入ったが、そこは事務所として借り上げているだけの2LDKだった。靴を脱いで上がり、ダイニングテーブルで社長と対面し履歴書を渡すと、
「履歴書、書き換えたほうがいいかもな」
「はあ」
「私が以前勤めていた株式会社〇〇(警備会社)に1年在籍していたと書き足そう。ここまで何度も来るのは大変だろうからね」
そんなことを言われた。
警備業界入りしたそもそものきっかけがこの出来事だ。結局この会社からは数カ月で尻をまくって逃げたわけだが、結局私はこれを機に4年ほど業界に身を置くことになった。警備員指導教育責任者*1になった今だから言えるけれど、この会社がやってることは完全に真っ黒だ。
結局私は、次の日から片道1時間かけて始発で都内某所に出勤し、12時間何もない空き地で一人立ち続ける仕事に1〜2週間ほど従事することになる。ヒートテックを着ていても寒さが骨身に凍みる、11月のことだった。
ここで学んだことが一つあるとすれば、「世の中には真面目にやったら死ぬ仕事がある」ということだった。
この会社では、部署ぐるみの調書改竄の尻尾切りで首を切られそうになり、上司をぶん殴って表向き依願退職させられた盗犯係の元刑事の隊長(内縁の妻が占い師だったのだが、のちにこの妻は横領罪で逮捕されたらしい)や、親子2代で警備員をやっている元ヤンの先輩、脳梗塞の既往があって今もなお全くろれつの回っていない新人隊員、認知症の男性に制服を着せて徘徊させ「臨時警備に伴う巡回」と言い張ったりなど、あんまりにもあんまりなエピソードがたくさんあった。
ここが地の底だと思った。地の底に引きずり込んだ禿のおっさんとの因縁は、次の会社に転職してからも続く。
そしてその断片については過去に一度書いた。こちらに書いているのは、2社目に移ってからの話になる。
また、このことは忘れないうちに書いておきたい。忘れないうちに。
inudog-toribird.hatenablog.com
*1:警備業界における必置資格
仕事の振り返り
今の仕事に就いてから、半年と少し経った。
今やっていることは、ざっくり言うと新規開拓営業だ。商材を具体的に言うと特定されかねないのでそこは想像に委ねるけれど、「営業」と耳にして普通の人がイメージするような内容で基本的には間違いない。ネガティブな面も含めて。
ただ今の商材の重要な点をあえて一つ述べるとしたら、買って終わりの商材ではないということだ。受注した顧客はカスタマーサクセスにトスアップする。商材を説明する時は、「カスタマーサクセスに身を委ねるように」と“放言”する人間もいる。競合他社よりも導入コストが高額なのは、カスタマーサクセスあってこそのものだから。
ただ言ってしまえば、カスタマーサクセス部門にはそちらのキャパシティがあり、顧客の数に対応した十全な体制があるかと言えばそうではない。そして受注後の顧客の予後については定量で測ることが出来るけど、全員が全員成功しているわけではない。
導入後の業績アップは、結局顧客が適切な走り出しが出来るかどうかにかかっているのだ。
包み隠さず言えば、走り出せていない顧客に対して出来ることは、カスタマーサクセス部門からしてもほとんどない。だからこそ、新規開拓の我々が導入初期のロードマップを顧客のために提示する必要がある。
しかし、我々に求められているのは新規受注の件数か、あるいはどれだけ高いプランを受注したかということで、新規顧客の予後についてはそれほど求められている訳ではない。顧客の予後について全く顧みない人間も多い…というか、顧みている人間のほうが少数派だ。
だって、提示なんかしなくても取れる案件は取れてしまうのだから。
入社して暫く経ってから、そんな流れで受注した顧客の予後を初めて定量で見た時は愕然とした。
どの顧客も、経費をペイ出来ていないのだ。伸び率を見ても、少なくとも初年度で回収するのは難しい。顧客の成果物を見ても、成功する見通しはあまりないというのが正直な感想だった。
それを目の当たりにして、自分の仕事は本当に正しいのだろうかと考えた。
先に述べたように、我々が求められている成果はあくまでも新規受注の部分であって、誤解を恐れずに言えば、顧客の幸せはミッションには含まれていない。この話の根底にあるのは、私の好みの話でもある。
営業職の会社員の立場から言えば、顧客には顧客の都合があり、我々には我々の都合がある。営業がやっていることは結局、そことの擦り合わせを無限にやっていくことだ。ソリューション営業でも対人関係の原理原則は変わらない。こっちの都合で、こっち主導で物事を進めていくこともしょっちゅうある。
そこにジレンマを感じて、結局昇華出来ずに職を辞していく人間もいるようだった。
私が今の職場に入るにあたって、世話になったキャリアコンサルタントがいる。
バックアップを受けていた時期は、まあめちゃくちゃに詰められた。「そんな受け答えで面接が通るか」「自身に対する掘り下げが全く足りていない」「君はいったいどうなりたいんだ」「何を実現したいんだ」と散々な有様で、キャリアコンサルタントから問いかけられたことにまともに答えられないことも常だった。
しかし、その人は私をガン詰めしつつも、「自分の顧客にはより良い人生を歩んでもらいたい」とも言っていた。とりあえずその言葉を信じることにした。
そうして入社してから他の人材会社を経て入ってきた同僚を目の当たりにして、当時のコンサルタントがやっていたことの意義に立ち返った。
経歴がズタズタじゃない限りは(私はズタズタだったけれど)、事業拡大の志向がある会社であり、且つ実績もその会社の業務内容と乖離していなければ、面接の要点を抑えれば入社には持っていけるとは思う。
求職者の顕在ニーズはそのままに、面接のポイントを守るよう徹底すればいい。それでも生半可なことではないとは思うけど。
そうして入った人間は、1 on 1で何を言うのかというと、「他所より給料が比較的いいから入ったものの、何をすればいいのかわからない。何を目指せばいいのか分からない」だ。この部分は、経歴がまともであればあるほど見えにくい部分だ。
そういった意味では、私のスタンスは入社前から一貫していた。私は入社してしばらくのあいだは、みんなそういうもんなんだろうと思っていたけど、その後の上司との1 on 1で「ここにアサインされている同期の中で一番軸がぶれない」と言われた時に初めて気がついた。みんながみんな、定まっているかと言えばそうでもない。
(恥ずかしい話だが、私のケースでは経歴のこともあり、スタンスの因数分解をしないと煮ても焼いても食えなかったと思う。営業になって、工数は金で買えない貴重なものだと身に染みた。けっこうな工数をかけさせてしまって、当時は本当に申し訳なかったと思う。)
自分が目指したいものが明確じゃない人間は道に迷う。自らが目指すべき天王山の頂上がはっきりしていれば、それまでに至る道が険しくても、「この険しい道のりをどう乗り越えていくか」「どの道具を使えばより効率的に登頂できるのか」ということだけを考えればいい。“迷い”の質が全く違う。
目指したいものが不明瞭な人間は分岐点で都度迷う。日々の進捗も鈍化する。挙句、自分が今歩いている道が正しいのか分からなくなって、コースから外れていくのだ。その瀬戸際に立っている同僚は今たくさんいる。
顧客には理想があり、現状があって、なおかつそこにギャップがある。そこのギャップをどう埋めるかを提案するのが営業の楽しさだけど、またそれ以前に、顧客が持っている理想をどう深掘するのかが営業の価値だし、本当の意味での顧客開拓だ。ただの御用聞き営業と、 “営業”を分ける境界線はそこだとも思う。
(相手が最初から顕在ニーズ丸出しでも、理想の再認識は徹底するようにした。迂遠にも見えるが、再認識させた顧客は判断軸にブレがなくなるから、実際的な話をすれば、契約手前でちゃぶ台返しを食らうリスクを極力減らすことができる。)
そういう意味では、本当に有能なコンサルタントに世話になった。営業の先輩として今でもたまに連絡を取っている。私が社内で表彰された時も報告させてもらったりした。表彰台に立てた今の自分がいるのは、その人がいたおかげだ。
話が脱線した。
同僚含め我々が実践する営業も、「理想」を再認識させて、現状とのギャップを埋めることに違いない。ただ他の大多数が「受注」をゴールにするのに対して、自分のこの仕事におけるゴールを「顧客の幸せ」に明確に設定し、理想を深掘りしつつも、理想と現実のギャップをどう埋めるか、を顧客の目線で考えるよう徹底した。商材の説明に時間を割くよりも、ビジネスの話を相手の目線でするようになった。あくまでも主体は我々ではなく、顧客だからだ。
そしてどうなったか。
ものすごく具体的に言えば、数字が堅調なのはそうだが、アップセルの提案にもビビらなくなった。私には貴社の事業の勝ち筋が見えている、だからこの上位プランが適していると確信を持って伝えられるようになった。
「アップセルならこいつに訊け」と同じ部署内で語られるようになり、表彰にもつながった。
受注後の顧客が、カスタマーサクセスにトスアップした後もたまに連絡をよこしてくれることがある。
「定量で成果が出た。提案を受け入れて本当によかった」
「あなたが言っていたノウハウを落とし込みたいのだが、どうしたらより効果が出るか」
限られた時間の中で成果を出さなければいけない新規開拓営業にとっては、客観的に見れば蛇足とも言える問い合わせだが、ここにも出来る限り時間を割く。自分の提案へのフィードバックでもあるためだ。
成功例と失敗例を、自分の言葉で新規顧客に語れるようになる。ギャップを埋める方法が確固たるものになれば、それは新しい顧客にとっても糧になる。
仮に、たった今、商談相手の会社に事業責任者として転職しても結果が出せるか、というところまで突き詰めれば熱も入った。
元リクの先輩から、「知識をつけすぎるとバカになる」と言われたことがあるが、これは正しい。生半可な知識は自分の目を曇らせるからだ。新規顧客開拓で目が曇れば進捗が鈍化する。
「この顧客は成功するか否か」を無意識のうちに勝手に判断するようになってしまい、例えアポにつながったとしても、商談への熱量も低くなる。
先輩の理論で言えば自分は馬鹿丸出しだが、この路線でも突き抜ければ、ポテンシャルは低くないかな程度の個人事業主でも、短期間で初期費用の数百倍のリターンを齎すことが可能である、という結果を出せた。
顧客にとっての幸せが、自分の基盤を築き上げていくことにも繋がっていると感じている。
あとはこれを継続できるかどうかだ。
話がまとまらないので、そろそろ総括しよう。
伝えたいポイントを並べると以下の3つになる。
1. 現状はどうか。目指すべきものは明確か。
(明確でないのなら、掘り下げが足りているか。自分の過去を振り返ったときに、岐路に立った際の自分の選択を根拠を持って説明できるか。それすらもあやふやな時は、当時の環境や状況から当時の選択の根拠を検証できるか)
2. 現状と目指すべきものの間にあるギャップは何か
(今はどんな選択肢を選び取っているのか。今の自分の選択を、方向性・割けるリソース・継続可能性の各方面から検証できるか。他によりよい選択肢はないか)
3. ギャップを埋めるために、今何をすべきなのか。
(第三者として、ギャップを埋める為にどういったバックアップができるのか。主体が自分自身なら、どういったバックアップを求めるべきなのか)
商談でも、ひとりの人間とっても重要な指標は結局この3つに集約される。
入社して暫く経ったけど、結局入社前に世話になったキャリアコンサルタント、もとい営業の先輩が実践していることの裏付けが明確になっただけな気がしてきた。
ただ本当に難しいのは、「そうある」ことよりも「そう在り続ける」ことだとも入社して身に染みた。
「そうある/なる」ことは瞬間風速的にはどうにかなっても、「そう在り続ける」為には自分に対するマネジメントが確立していなければ難しい。人の体力は無限には続かないから。
表彰を受ける少し前から、仕事に対して少し息切れし始めたから立ち返るためにこのエントリを書いた。
自分はこれからも「在り続ける」ことが出来るんだろうか。
バイスタンダー経験からの雑感
先日、バイスタンダーとして現場に居合わせた。その時のことをざっくりまとめておく。
バイスタンダーとは、ざっくり言うと「救急の現場に居合わせた人・発見した人」のこと。
この雑感について、特定の誰かを指して糾弾するなどの意図は一切含まれてないことを予め明記しておく。
月1〜2でシガーバーに行って葉巻を吸うのが楽しみなんだけど、今回はその帰りのことだった。
今日は帰り道にある施設の通路で倒れている男性がおり、それを若者たちが取り囲んでいて、そのうちの1人がAEDを持ってきていた。
心停止の現場だった。
私は以前の職場で指導教育責任者として、また応急手当普及員として、心肺蘇生法の指導をしたりもしていたけど、実のところCPA(心停止)の現場でバイスタンダーになった経験はほとんどなかった。
結論から言うと、私がいたから特別どうこう、といったことはない。
その場に居合わせた若者は体育系の大学の学生たちで、第一発見者。目撃のある心停止だった。彼らの対処は的確だった。
かつて大学の授業で心肺蘇生法を習ったきりだと彼らは言っていたけれど、話を聞く限り、倒れた男性を見て、
・観察と評価
(話を聞いてみると、彼らは用語こそ曖昧だったが、死戦期呼吸にも気付いていたようだった)
・迅速な通報
・胸骨圧迫
・AEDの搬送
これらをしっかりこなしていた。
バイスタンダーとしては本当に申し分ない。こう言ってはなんだが、ここまでやってダメなら誰がやっても同じ結果だったろうと思う。
彼らの判断と勇気については表彰される機会があればいいのにと思う。
とまれ、現場には彼らよりも更にうろ覚えのCPRで事態に対処しようとする警備員と、先述した学生たち、状況を報告するのに精一杯の地域課の警察官と入り乱れており、状況を整理するために介入した。
以下に自分への反省点も含めた雑感を示す。
順番は一切考慮されていないし、内容について整理もしていないから記述を当てにすべきではない。
※救命講習の受講歴がない人は是非受講してほしい。受講歴がなくとも、119番に連絡すれば指示を仰ぐこともできる。AEDがあるなら、自動アナウンスに任せてもよい。
- CPAに陥った人そのものは救急病院に勤務している時に何度も見てきたので、状況の理解に支障はなかった。勝手に身体が動いたのでよかった。
- BLS Provider取得以降、仕事用の鞄にポケットマスクを常備していたのが功を奏した。フェイスシールドと比較してより効果的な人工呼吸が実施できた。
- 状況を確認してすぐに仕事用鞄からポケットマスクを取りだし、同封されているニトリルグローブを着用した上で介入した。最初は医療関係者の類と思われたのか、その場での介入と主導権の獲得はスムーズに進んだ。
- ポケットマスクの組み立てはやはり、慣れてないと若干もたつく。今回はバイスタンダーが複数人いたため、タイムラグは極小化できたが、常備している人は組み立てに習熟したほうがよい。
- 警備隊員は持ち歩いている(?)フェイスシールドで人工呼吸をしていたが、逆止弁が患者の口の奥に入り込んでおり、また頭部後屈顎先挙上法がしっかり出来ていなかったため、うまく息が入っていなかった。
- 頭部後屈顎先挙上法を生体にやるのは思ったより難しい。
- 胸骨圧迫中に、「ボグッ」というぐぐもった感触があった。骨が折れたのかもしれない。胸骨圧迫は続行した。
- 胸骨圧迫のリズムが各々でばらつきがあり、質の低い、早過ぎる胸骨圧迫を行なってしまっている人もいた。その時は声を出してカウントしてあげたり、手拍子や肩を叩くなどしてリズムを作ってあげたほうが、良質な胸骨圧迫を継続して行うことができるため、そのようにした。
- 使用後のポケットマスクやニトリルグローブについては、学生たちの着用分も含めビニール袋にまとめ、東消救急隊の中隊長に感染性廃棄物として処分をお願いした。
- AEDによる心電図の解析は6~7回あったが、除細動は最初の3回のみだった。除細動を経ても意識は回復しなかったため、AEDがショック不要と判断した後も率先して胸骨圧迫を行った。
- 救急隊現着時も同様、引き継ぎの瀬戸際まで胸骨圧迫を行った。
- 臨場した所轄の専務員から身元の確認と状況説明を求められた。亡くなったら連絡するかもしれないとのこと。
- 臨場した警察官が私とめっちゃご近所さんだった。駅ですれ違ってもそっとしておいてね、とのこと。
- そんな長時間やったわけでもないのに、暫くの間腕の違和感が取れなかった。
- バイスタンダーCPRの現場では、統制が重要なファクターであると認識した。目指す目的は一つとはいえ、場を回す人間がいないと何もかもがとっ散らかる。
- 学生たちが臨場した所轄の専務員に話しているのを聞いて思ったが、やはり「冷汗・顔色の悪さ・呼吸苦」は分かりやすい心原性心停止の兆候だ。
消防のAED講習や普通救命講習では、「AEDがショック不要と判断した場合の対処」を教えていない/口頭で伝えていても、シミュレーションまではしていない場合が往々にしてある。
10〜11に関しては、講習ではなかなかフォローしきれないポイントであり、このあたりを把握している人間が率先して行動する必要がある。
※今回は目撃された心停止な上、現行のG2015では人工呼吸は省略可能としているが、可能ならやったほうがよい。
胸骨圧迫の目的は、平たく言ってしまえば、脳に酸素を含んだ血液を送り込み続けることにある。
この場合は当てはまらないが、海やプールや保育園や幼稚園で特に起こりやすい呼吸原性の心停止の場合、人工呼吸が出来ないと致命的。単に「人工呼吸は省略可能」というのは不正確。
フェイスシールドは逆止弁の周りから裂けるリスクがあるし、傷病者の口の中に入り込んでしまう場合もあることが今回のケースで分かった。
そしてポケットマスクの効果の高さを(心理的な抵抗の低さも含めて)実感したが、医療従事者でもなければ、これは消防の講習で補講(実施団体や、その日の講師によってバラつきがある)として体験するか、AHA BLS Providerなどを受講していないと使用が難しい。習熟していない人が使っても隙間から空気が漏れるだけだ。
ポケットマスクは購入して3年ほど経つが、よもや使うタイミングが来るとは。持っててよかった。
一軒目を出た後はバーをはしごするつもりだったが、上記の出来事のあとはスタバで抹茶クリームフラペチーノを飲んで帰った。
冷凍挽き肉との付き合い方と鼠男
一番最初の記事は、ベッドの上で、シロタさん(ニッセンのゆるキャラだ。れさ丸と対をなす可愛いやつだ)の顔のクソデカぬいぐるみに馬乗りになりながら書いた。
解るか?25歳の独身男が築50年の木造アパートのベッドの上でぬいぐるみに馬乗りになりながら賞味期限が切れた豆板醤についてのブログエントリを書く気持ちが。解らなくていい。これはわたしの人生の話だ。
わたしは月に一度、スーパーで買い溜めをする。OKストアとか、ロピアとか、メガドンキとかでだ。デカい肉とか調味料とか乾麺とかを馬鹿みたいに買い込んで、冷凍したりしてその月をしのぐ。
ロピアはいい。これが商店街にある店なら、伊丹十三のテコ入れが入るであろう商品単位(ようはひとパックがめちゃくちゃデカいということだ)で肉とか魚とかが並んでいる。郊外店だからこその商品単位だ。駐車場に日産セレナを止め、IKEAの青いバッグ(ロピアはレジ袋が有料だ)に食材を詰めて帰る。ひとつのルーティンだ。
それをまたロピアで買ったジップロックとかサランラップで小分けにして冷凍する。豚肉とか鶏肉とか、あとは合い挽き肉が多い。牛肉は店で食ったほうがいいと思っている。でも機嫌がいい時はデカいステーキ肉を買うこともある。
いいか。人の本音なんてものは一番当てにならない。その瞬間、その刹那にたまたま「しっくりとくる」何かがたまたま「本音」として発露されるというだけだ。神妙な顔をして本音なるものを吐くような軽薄な人間には気を付けろ。そんなものには何の意味もないのだ。デカい肉に身も心も委ねろ。それが人のあるべき姿だ。
ヴィーガンなら北海道で売ってる冗談みたいなデカさのキャベツに心を躍らせていてくれ。わたしもあれは好きだ。
話が逸れた。
人には800gとか1kgくらいの挽き肉パックをおもむろに購入してしまいたくなる時もあるだろう。
電子はかりの上に載せたタッパーにラップをかぶせ、その上に挽き肉を載せて小分けにすることをしている人もいるだろう。
そんな非効率なことはやめろ。
大きなジップロック(IKEAの安っぽいやつでもいい)に挽き肉を敷き詰め、平べったい一枚の肉の板にしたあと、ジップロックの上から、菜箸の端っこと端っこを持ち、賽の目に切るイメージで押さえつけるといい。挽き肉で板チョコを作るイメージだ。イメージが渋滞したが、なりふりかまっていられない。わたしはこのソリューションを画面の前の貴様に伝えたいのだ。
板チョコのようにした冷凍挽き肉は、その都度割って使えるようになる。重さの見当もつけやすい。是非試してみてほしい。
これだ、これだけ伝えたかった。このエントリの主題はもう終わりだ。あとは蛇足だから、読むも読まないも好きにしていい。
さて、冷凍したひき肉に関しては、最初のエントリで書いたような感じに調理してもいいが、アル中カラカラおじさんのごとく、小分けにした挽き肉をライス代わりにしてもいい。
ああ、アル中カラカラハイボールおじさん、ニコニコ動画の料理カテゴリランキング常連のおじさんで、ずっと前から動画をみていた。
酒の飲み過ぎでパンパンに浮腫んだ手、キャンプ用のバーナーを畳の上に置き、鍋を乗せ、並々と油を注ぎ、串揚げを揚げるアナーキーっぷり。
うっかり熱した油を手にこぼし、既に浮腫んでパンパンになった手が熱傷で真っ赤になる様は見ていられなかったが。
Soda Streamで炭酸を含ませたウイスキーを100%ハイボールと言い張って飲み干すその姿、角瓶5Lボトルを常用し、結婚式でもなりふり構わないその姿には心に訴えかける何かがある。
最近Youtubeでも動画が上がるようになって注目度が飛躍的に高まったことに一抹の寂しさも感じるようになったが、これはわたしの個人的な話だ。
そう、これは今を生きる男の話だ。流れ星を思わせる儚さだが、別に輝いているわけじゃない。失礼な話だが。
彼の生き様を見ると、昔を思い出す。
わたしは今でこそ営業に勤しんでいるが、かつては警備会社で働いていた。新卒で入ったわけじゃない。日雇い派遣をしながらフラフラしていた頃に成り行きで入っただけだ。
その成り行きを作ったのが、Nという男だった。
ハゲ散らかした酷い猫背の男だが、その瞳は炯々としていた。見た目の印象は鼠小僧そのものだが、付き合いが長くなりつつある頃は、老獪だなという印象を受けた。でも関係の終わり頃ともなると、背中の丸まった、人生に疲れ切った1人の小男に見えた。
まるで言いたい放題だ。Nが見たら顔をしかめるだろう。
関西で会社を経営し、妻子もいて順風満帆だったその男。学生時代はアメフトをやっていたと言っていたが、その鼠小僧のような風体からは到底信じられなかった。
阪神淡路大震災で一人息子を亡くしてからはすべての歯車が狂ったそうだ。
妻とは離婚し、会社を売り払い、手許に残った金を飛田新地で溶かした。飛田新地で抱いたニューハーフの話をしてくれたときのことを覚えている。
「知ってるか?工事したニューハーフってな、常に股に棒を突っ込んでんだ。穴が塞がるからな」
金が尽きかけると、薬物の売人をやっているフィリピン人の女と同棲を始めた。
そのフィリピン人の女はサービス精神が旺盛だったらしい。
「ポングってわかるか?この280mlのペットボトルの蓋にな、穴を開けて管を通すんや。俺はこれ作るのうまいでえ。客へのおまけや言うて、女に散々作らされたからな」
何年か前の、突き刺すような冬。現場近くの公園で、それこそ280mlサイズの甘いリンゴジュースを飲みながら彼は言った。
彼はひどい糖尿だった。
ある日、彼は仕事中すっ転んで足の甲に怪我をした。本来なら軽傷と呼んで差し支えないものだったが。
わたしと彼は共に警備会社を2社渡り歩いた。2社目に入り、春の気配が感じられるようになった頃、日吉周辺の単発現場で、彼はぽろっとこぼした。
「この前すっ転んで怪我したところな、まだ治ってないんや。たぶん腐っとるわこれ。切らなあかんかもな」
その現場が終わった後、彼とは駅近くの日高屋で飯を食った。糖尿で歯が抜け落ちた彼は、ほとんど入れ歯だった。
ラーメンを啜っていた彼の入れ歯接着剤が剥がれたらしく、紙ナプキンで入れ歯接着剤をこそげ取り、塗り直す様子を目の前で見せられた時は流石に辟易したのを覚えている。ハイパーハードボイルドグルメリポート。お前たちのすぐそばにある話だ。
次に彼と会ったのは、とある夏の日だった。
わたしは社内で、親会社から降りてきたばかりの部長代理と共に、新しい現場の立ち上げを任され、国家資格の受験と同時並行して業務に取り組んでいた頃だった。
新規現場で、人がいない。
わたしはなりふり構わなかった。
1社目で世話になった先輩とその幼馴染みが、食うに困っていると聞き、茨城から東京まで呼びつけ、金を渡し、自社の寮に入れさせた。
八王子の駅前でホームレスを拾い、富士そばで飯を食わせ、金を貸し、面接に来るよう諭したこともあった――結局、彼は面接に来る前に万引きで捕まっちまった。「彼から代わりに一言詫びといてくれと頼まれたから」と、八王子警察署の刑事からわたし宛に電話が来たのを今でも覚えている。
でもこの話ももう、済んだ話だ。
そんな中で、「Nに入れる現場がない。引き取ってくれんか」と部長から打診があった。
望んでいたかどうかはさておき、世話になった人間だ。どうにかして拾いたかった。
親会社から降りてきたばかりの部長代理は、それに難色を示したが、「あかんかったら、さっさと切りますから」と頼み込み、自分の現場に引き込んだ。
結果を言ってしまうと、彼は煮ても焼いても食えなかった。
彼の目は糖尿で濁りきっていたし、有り金を全部競馬に注ぎ込むような男だった。「使い古したコンタクトレンズ」を、それも片方ずつつけて凌いでいたようなありさまだった。
とある理由から、現場がだいぶ特殊だったのもある。
しかしそれでも、彼は彼なりに必死だった。わたしに見切りをつけられたら、この会社をクビになることは目に見えていたのもあるのだろうか。ベテランとしての矜持もあったろう。警備員としてのノウハウをわたしに叩き込んだのは彼なのだから。
立っているだけの配置に充てる線もなくはなかったが、しかし、ある出来事を機にわたしは彼を完全に切り捨てることにした。業務とは直接関係のないところだが。
情けない話だし、これについてあえて細かく書くこともしないが、わたしが人材集めに奔走していたことに関連した話だ。あとは想像に任せる。
(1社目からずっと、耳揃えて返してくれていたとはいえ、ほぼ毎月金を無心してきた彼にうんざりしてきたのもある。)
解るか?それをすれば、わたしが自分に対して完全に見切りをつけるであろうことがわかり切っているのに、彼がそれをした理由が。
解らなくていい。これは彼とわたしの人生の話だ。
彼はサスケという名前の猫を飼っていた。
猫を飼うことをしなければ、生きる意味がなくなってしまうかららしい。
「死ぬのはもう怖くない。もう心筋梗塞を2回やっているから、次に心臓が詰まったら確実に死ぬ。俺が怖いのは、俺が死んだあと、サスケに目ん玉を齧られることや。俺は身体は甘いでえ。糖尿やからな」
故に、彼は保証人の欄に、わたしの上司でもある(わたしに引き取ってくれと話をした)部長の名前を記していた。
目ん玉を齧られる前に、猫を引き取ってもらえるように。
しかし結局、彼に直接退職勧奨を持ちかけたのは、保証欄に名前を書いた部長本人だった。
その後、わたしから連絡を取ることも、彼から連絡が来ることもなかった。もう3年ほど経つ。
彼の生死は杳として知れない。
せめて目ん玉を齧られてなけりゃあいいが。
瓶内熟成の豆板醤
昨日食っためしの話をする。
写真はない。
キャベツを1/4玉、ピーマン2つ、長ネギを斜めに切ったやつを炒めて別皿に取る。
冷凍挽き肉を解凍して、傷だらけのティファールにぶちこみ、すたみな源たれ(青森のクソうまい焼肉たれ的な)をドバドバ入れて炒める。
火が通ったら先述の野菜の山をぶち込む。
人生が嫌になると、冷蔵庫内の掃除をしたくなる。解るか?解らなくてもいい。これはわたしの人生の話だ。
味が濃いものはだいたい米に載せちまえばいい。人は皆、物事を複雑にしやがる。本当はこれぐらいシンプルであればいいんだ。
ところで、ティファールは傷だらけでなくてもいいが、鉄フライパンなんて洒落たものが家にある男は嫌いだ。フライパンの話となると、こういう話をついしたくなってしまう。わたしはかつて宝島社が出していたスキレット同梱ムックを買ったが、ガステーブルのSiセンサーに殺された。鉄鍋の類を使う上でまず最初必要になる『シーズニング』という「手続き」においては、鉄鍋をカンカン(チンチンというオノマトペもある。好みでよい)に熱して表面の薬剤を焼き切る必要がある。しかしこれは、Siセンサーと呼ばれる家庭用コンロにはつきものの温度センサーの存在で、なかなかこれがままならないのだった。
カセットコンロにはSiセンサーがないから、使い始めだけカセットコンロを使えばよいことに気づいたのは、そこから半月後だった。時すでに遅し。スキレットは棚の奥深くに眠ってしまっていた。
アツアツ魔法のフライパン! スキレットBOOK【16cmスキレット付き】 (バラエティ)
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鉄のフライパンを常用している男は、少なくともシーズニングという面倒な手続きを乗り越えるだけの愛を何かに対して持てる男ということだ。結婚するにあたっては適当だろう。あとは小煩くないかどうかが問題だ。
これは完全にわたしの偏見だが、鉄のフライパンを常用している男がめんどくさい訳がない。気をつけてほしい。何を?
ちなみにこれは好みの問題なんだが、わたしはこの炒め物に、横浜中華街の萬福臨って食材屋で買った豆板醤(松印)をぶち込む。そら豆と唐辛子と塩だけで作られた、唯一の豆板醤だ。
松竹梅と熟成期間によってランク分けがされている。松と梅だけだったような気がするが、まあいいだろう。
松印は、15年熟成させた本物の豆板醤だ。15年の熟成期間を経ても、よく出回っている砂糖入り豆板醤のような優しさはない。そうだ、あれには砂糖が入っている。家にある豆板醤の裏を見てみるがいい。ピーシェン豆板醤を使っている?この話はおしまいだ。
話が脱線した。
この豆板醤(松印)は辛味が強い。慣れないうちは、普段使っている甘めの豆板醤と組み合わせて使うのが無難だろう。いくらか辛味がマイルドになるし、味に深みが出る。こうして作った麻婆豆腐はうまい。自分の腕が上がったような気にさえなる。クックドゥも悪くはないが、退屈だ。そう、数年に渡って働き続けた居酒屋バイトのような。この前NewsPickか何かで読んだんだが、人には転職すべきタイミングがあり、それは今の仕事が退屈に感じられた時だという。クックドゥからの脱却を図るべきタイミングは画面の前にいる君にもいつか現れるはずなのだ。
話が脱線した。
クックドゥの麻婆豆腐にちょい足しするだけでもレベルが上がる。そうだ、これでいい。いろいろ御託を並べたが、豆板醤やら甜麺醤やらを揃えるのが面倒になったわたしも、最近はクックドゥの麻婆豆腐にちょい足しする方法に落ち着いてしまっている。成長ばかり求められる環境も、体力が続けばいいが、そうでないなら息苦しくなるばかりだ。人には休息が必要だ。
また脱線した。
豆板醤(松印)は買った後も瓶内熟成が続く。購入時には、レジを打つマダムから、清潔なスプーンでたまに瓶底からかき混ぜるよう言われる。
自宅にある豆板醤だ。カメラロールにこの前撮った写真が残っていた。
誤解のないように伝えておくと、わたしは賞味期限や消費期限には比較的うるさいほうだ。
そして製造元は一切推奨していないことを念頭に置いてほしいのだが、申し訳ない。これは今朝も使ってしまった。
瓶内熟成が進み切って、ここまで来るとだいぶ甘みが出てくる。うまい。うまいんだが、自宅に来た人に食わせる訳にはいかない。人道的な問題を孕んでくるからだ。重ねて申し上げるが、製造元は一切推奨していない。
これはあくまでも自分の自堕落さが生んだひとつの偶然であるから、真似するべきではないし、買ったばかりでもこの豆板醤は本当にうまい。
萬福臨の柱となる事業は卸であり、小売にはあまり力を入れていない。数年前までは公式のWebページもあったが、消滅してしまった。故にこの店の豆板醤を通販で買うことは不可能と言っていい。実店舗はちゃんとあるので安心してほしい。
しかし、公式の通販があった頃でさえ、松印は店頭のみの販売だったようだ。熟成年数を経たうまい豆板醤はもはや資源の一つと言っても過言ではない。
横浜中華街に来ることがあったら、絶対にこの店に立ち寄るべきだ。胡麻油ラー油も推せる。
https://www.chinatown.or.jp/shop/%25e8%2590%25ac%25e7%25a6%258f%25e8%2587%25a8/
横浜中華街、令和になってからまだ行っていない。中華街には製麺所が点在しており、中には店頭で若干数だけ販売している製麺所もある。
わたしは以前そのうちの一つの店で麺を購入したが、応対してくれた中国人の背の高い若いお兄さんがめちゃくちゃ口調がぶっきらぼうで、すごくいいキャラをしていたのを覚えている。彼は元気にしているだろうか。