ラードの海に溺れて

めし、酒、本、映画

または私は如何にして(貯金の)心配するのを止めて…を愛するようになったか

 メスカル、という蒸留酒がある。

 端的に言えば、竜舌蘭…サボテンの花から作られる蒸留酒だ。言ってしまえばテキーラのことを指す。厳密に言えばメスカルというジャンルの中にテキーラがある。シャンパーニュ地方で、法律で決まった製法で作られるスパークリングワインをシャンパンと呼称するのと同じだ。シャンパンはフランスのAOC*1という制度に沿っていて、これが厳密に決まっているのだ。テキーラも法律で決まった製法と、特定の竜舌蘭の種類を使ったメスカルのことを指している。メスカル(テキーラ)はメキシコの伝統的な蒸留酒だ。ただ、メスカルは蒸留したあと、無色透明の液体として飲む一方、テキーラは熟成させてカラメル化を経た上で飲むだとか、テキーラは大量生産されている銘柄もある一方で、メスカルは小さい蔵で細々と作っているだとか、色々な違いがある。

 メスカルは……遠い昔に飲んだことがある。昔Twitterの繋がりで、虫を食う会なんてふざけた会合を川崎の他人の家で催したことがあったのだ。長野とかから買ってきた蜂の子の甘露煮の缶詰とか、そういうのが並んだ。私は芋虫が入ったメスカルと、サソリ入りのウォッカを持っていった。

 ラゾーナ川崎の地下にあるビック酒販で、クラマトというトマトジュース*2なんかも買い込んで適当に混ぜて飲んでいた気がする。それが何年前だったのかは今は聞かないで欲しい。遠い昔の話だ。

 メスカルを飲んだのはそれっきりで、メスカルに入っていた芋虫を齧ったのは会合の主催者で「石油のような味がする」と言っていた。酒自体はまあ悪くはなかった。私の中でメスカルは、芋虫入りの色物蒸留酒として代名詞化してしまった。

r.gnavi.co.jp

 渋谷に「The SG Club」という店がある。アジアでもっとも勢いのあるバーが連なる「Asia‘s 50 Best Bars」に毎年ノミネートされ、日本国内のバーで最高位を獲得し続ける日本を代表するバーだ。オーナーの後閑氏は世界で影響力のあるバーテンダー100人のうちの1人にも選ばれたらしい。とにかくすごいバーだ。

 2階、1階、地下1階とそれぞれ違った顔を見せるバーで……という話はさておくとして、先日ここにお邪魔してきたのだが、地下1階でたまたま後閑氏がバーカウンターに立っている日だった。隣には海外帰りのお客様がいた。メニューに胸を躍らせ、この目の前のカクテルには何が入っているんだろう(雨と苔のジンフィズなんて変わったメニューがあって、それを飲んでいた)と頭を回しながら、後閑氏とお客様の会話をそれとなしに聴いていると、たまたまメスカルの話をしているところだった。

 メキシコに渡った後閑氏が現地で買い付けたメスカルがそこにはあって、これを作ったメスカルの蔵は非常に小さく、このバーの地下1階ぐらいのスペースしかないのだと言った。力作業は牛や馬に引かせている、蒸留の際は蒸留器の中に牛だったり、鶏だったりを吊るして、それらのエキスをメスカルに落とし込んでいく、とか。聴いていて非常に勉強になった。そこで私は先述したグサーノロホを昔飲んだ話をしてみたところ、グサーノ(芋虫)を入れたものは味が全てそれに染まってしまうのが難点で、という答えが返ってきた。なるほど。

 このメスカルは、虫と一緒に食べるらしい。フリーズドライにしたバッタや、粉にした虫と塩を混ぜたものを食べたり舐めたりしながら飲むようだった。隣のお客様は美味しいと言った。その時は1階→地下1階→2階とはしごするつもりだった*3から、また来た時に飲もうと思った。

 次の日にはまた来店していた。

 その日は後閑氏は不在だったが、あのメスカルを試したくなった。

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 無論虫も一緒に。

 昆虫食が注目されていて、なんてのは昔から言われていたけど、加熱した虫はうまい。でも考えてみれば、海老の殻や虫を構成している物質はあんまり変わらないはずなのだ。乾煎りした虫はうまい。かっぱえびせんに近い。

 メスカルそのものは、若干の獣臭さがあるが悪くはない。乾燥した虫を舐めながらメスカルを口に含むと、メスカルの獣臭さが「出汁」として立ち上がってくる。海老と動物系の出汁。品の良いラーメンのスープを思わせた。メキシコで出汁バーとか、ラーメン屋を開いたらもしかしたら流行るかもしれない。

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メニューの一部

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雨と苔のジンフィズ

 雨と苔のジンフィズ。雨と苔の要素は当ててみて、とのことだった。トップノートは瓶詰めのブラックオリーブを思わせた。私よりは舌の肥えた同僚は青リンゴっぽいと言う。調和しているが、旨味もあるような気がすると。結論を言えば、そのどちらも外れていた。でも旨味はひとつのキーワードのようだった。答えはこっそり教えてもらった。

 思い込みだったり、認識だったりというのが覆される瞬間というのは確かにあって、それがすごく面白かった。先日お店に伺った際のメニューで言えば、味噌とりんごを組み合わせたデザートカクテルだったり、バナナとキャラメルとシナモンと粉末醤油(!)を組み合わせたノンアルコールカクテルなんてのもあった。ウイスキーお酢と山葵を組み合わせようなんて、自分だったら何回生まれ変わっても出てこない発想だった。

 五反田にヌキテパという有名なフレンチがあって、そこは土のソースがかかった料理が出てくるほか、ノンアルコールドリンクとしてスイカの果汁を混ぜたコーヒーもある。渋谷でよく行っているバーでは、ずんだや大葉を使ったカクテルなんかも出してくれる。また別のバーでは、しっかりと甘いショートカクテルにピンクペッパーを振りかけて、ある種の強引さで以て味の調和を取っていた。そのカクテルは2006年の世界的なカクテルコンペで入賞している。

 サヴォイカクテルブック、というカクテルレシピの中でも古典中の古典とされている本*4があって、確かそこには、テキサスの草原のど真ん中である男が死に際に「牡蠣が食べたい」と言って、仲間たちがそれに応えたという逸話がある『プレーリーオイスター』という古典的なカクテルが載っていた。

レシピ

卵黄 - 1個

ウスターソース - 小さじ1

トマトケチャップ - 小さじ1

ビネガー - 2ふり

コショウ - 1ふり

  これも立派なノンアルコールカクテルだ。フードが出るバーならまだしも、ショットバーでこれを頼まれたら多分バーテンダーはだいぶ困ってしまうと思うからほどほどに。メニューにない、ちょっと変わったカクテルを頼む時ほど勇気のいることはない。牛乳入りのジンフィス、会館フィズ(モーニングフィズ)がカクテルの中で一番好きだけど、滅多に頼めないのだった。よく行くバーでしか頼んだことはなかった。

 自分には到底思いつかないが、味わってみて、あるいはその後に頭で理論を類推してみると腑に落ちることは往々にしてある。何せ目の前の美味しいカクテルがすべての答えなのだから。そこから途中式を遡ると「なるほどね」となるのだけど、まず最初にその答えを導き出すためのとっかかりを作って、なおかつ高い完成度で以て具現化してしまえるなんて、そこにはどんな魔法があるんだろう。趣向を凝らし、なおかつ完成度を高めに高めた芸術作品を飲む楽しみは何物にも替え難かった。自分がエンゲル係数を高めに推移し続けていてもバーに行き続ける理由のひとつはそこにある。

*1: 原産地呼称統制:アペラシオン・ドリジーヌ・コントローレ

*2:はまぐりエキスが入ったトマトジュースで、これがやたらとうまい

*3:同じ建物内でバーを梯子出来る素敵な構造だった

*4:初版は禁酒法時代のアメリカからロンドンに移ったバーテンダーが書いている。カクテルが体系化するに至った歴史のターニングポイントは禁酒法だったとする説がある。「バスタブ・ジン」という俗称で呼ばれた粗悪な酒をどうやって飲むか、当時のアメリカ人は頭を悩ませていたのだった

解像度(あるいは半可者の挽歌)

 また職が変わった。

 それまでは客先から委託を受けて無形商材を売る営業代行だった。会社で抱えているプロジェクトは様々だが、私が担当していたのは某IT企業での新規営業だった。不調だった時期はあるが、上司にも同僚にも恵まれていた。向こう三年は辞めるつもりなんかなかったのだ。何故転職に至ったのかといえば、まったくの偶然に過ぎない。飯を食べに行こうと言われ、顔を出しに行ったらあれよあれよと言う間に転職が決まった。そんな感じだ。最終的には間違いなく自分で選択したし、自分の責任なのだが、引きずり込まれた感は否めない。ともあれ、私は転職先でコーヒーを売ることになった。全くの門外漢どころか、率直に言ってコーヒーよりも紅茶のほうが好きなのだ。コーヒーは嫌いだ。と言っても、紅茶についてはダージリンアールグレイの区別さえ曖昧だった。苦くないもののほうが好き。それだけの理由だった。その日以降、社長は私を引き抜くためか、幾度か飲みに誘った。行きつけのバーへ面通しもされた。もうお前の意志は固まっているんだろうと言いたげだった。正直、面白そうと思った部分も大きかったのは否めなかった。

 

 実際転職してどうだったかといえば、詳細は控えるが、明確に間違いだったと言える。それが世界の全てだと言いたいのかと勘繰りたくなるほどに“飲む打つ買う”の話ばかりする人間と、品のない飲み方をする人間が率直に言って嫌いだ。私も粗相ばかりだが、飲み会の粗相は粗相以上でもそれ以下でもなく、本来であるならば墓に持っていって然るべきもののはずだ。でもそうは思ってない人もいて、諸先輩方は皆そのような性質の人間だった。

 

 会社の近くに社宅を借りた。こんな機会がなければ住もうだなんて一生思わなかったような場所だ。実際住んでみると、その気持ちはさらに強くなった。住みたい街ランキングの上位に食い込んでいる理由がわからない。あんなもの、田舎者か酔っ払いが作ったランキングに過ぎないのだ。少し解像度をあげてみると、ちょっと裏路地に入ればネズミが這っていて、緊急事態宣言前は、終電が過ぎると男も女も相席屋に吸い込まれていく。女にヘッドロックされた男が横丁に引き摺られるのを見た。渋谷のほうが汚いなら汚いなりに居直っているだけ素直なように思えた。前の職場に戻ろうか、あるいは昔の業界に戻ろうか考えあぐねいている。興味の有無は別として、今の仕事のインセンティブは他の追随を許さないのは確かだった。でも下町の古いアパートに移り住んで、ゆるく仕事して、帰りには銭湯入って、休日には近所を散歩するような生活がしたいという気持ちが頭を擡(もた)げているのも確かだ。たまに酒が飲めたらもっといい。行ってみたいバーが東京だけでも沢山ある。でも飲めなくなっても別に構わないという気もしている。

 

 閑話休題

 

 良いことと悪いことを差し引くと悪いことだけがそこに残ってしまうが、そう、でも悪いことばかりではなかった。食とコーヒーに対する解像度が若干だが上がってしまった。これは悲しい性の話なのだが、敬遠していたものでも、一度気になり始めると好奇心が勝ってきてしまう。転職してまもなく、私は家にコーヒーの器具を一通り揃え始めた。本もいくつか読んだ。youtubeの閲覧履歴はコーヒーに関する動画で埋め尽くされた。今では喫茶店に行って頼むのはブラックのコーヒーになった。頼むときに豆の種類が気になるようになった。アラビカ種100%なんて今となってはコンビニコーヒーも謳っているが、かつてはその意味が分からなかった。コーヒー豆にはどうやらアラビカ種とカネフォーラ(ロブスタ)種、リベリカ種の3つに集約されるらしい。コーヒーはコーヒーノキから出来る。まんまだ。コーヒーノキから成ったコーヒーチェリーからコーヒー豆を取り出し、焙煎することで皆が知っているコーヒーになる。コーヒー豆の取り出し方も様々だ。ナチュラルとウォッシュド、セミウォッシュド(ハニープロセス)。喫茶店で見かけてもそのまま素通りしてきた言葉たちが目の前で踊り出すような気持ちになった。外国語を読んで僅かばかりでも意味が拾える自分に驚く心境に近い。解像度が上がるにつれて世界は広がった。でもエチオピアか、ブラジルか、グアテマラか、ペルーか、あるいはタイか、産地の違いはいまだにピンと来ない。喫茶店に入ったらブラックのコーヒーを頼むようになったなんて、去年の自分に言っても信じてはくれないだろう。角砂糖を2個も3個も落としていた自分が? 入社後しばらくして、商品のテストのためにエスプレッソマシンのメーカーを2社梯子させてもらってエスプレッソを22杯試飲した。最後の2杯を口に含んだときにひどい耳鳴りがし始めて、その日は胸焼けで眠れなかった。しかしそのおかげで、ただ苦いだけと思っていたエスプレッソの良し悪しがなんとなく理解できるようになった。豆の種類と焙煎深度、そして器具と淹れ方に依るものの、エスプレッソからは苦味だけでなく、ふくよかな酸味も甘味も感じ取れることを知った。

 コーヒーを含んで舌全体、舌の裏側にも這わせて、鼻からゆっくりコーヒーの香りを抜いていく。ドリップでロブスタ種がブレンドコーヒーを試してみると、比較的すっきりと飲めるアラビカ種100%のそれに比べ、硬口蓋と軟口蓋の間に引っかかる苦味があるような気がする。まだうまく表現できないし、SCAJのフレーバーホイール*1も全然頭に入っていないければど、鼻から抜ける香りでロブスタ種の気配を感じ取れるようになった気がする。ふとコンビニのコーヒーマシンを見ると、直上にあるホッパー(豆受け)に黒々とした豆が詰まっていた。アクリルのホッパーはコーヒー豆から滲み出した油汚れがこびりついている。コーヒー豆はその焙煎深度によって豆からコーヒーオイルが滲み出してくる。深煎りであればあるほどそれは顕著になるんだっけ、とひとりごちた。そういえば、とあるエスプレッソマシンのメーカーにお邪魔した時、担当営業の方が「全自動のエスプレッソマシンはコーヒーの味の自動調整も行う」「煎りが深い豆を使うと、滲み出した油で豆が引っかかることがある。豆がひっかかると投入される豆の量にばらつきが出る。ばらついた状態で自動調整がかかると不調が出ることがある」なんて言ってたっけ。…詳しい理屈は忘れたが、言葉と目の前の映像がリンクする感覚があった。家でもコーヒーを飲むようになった。コーヒー豆を挽くために、家にボダム製の電動ミルと、TIMEMORE(タイムモア)製のハンドミルを買った。

 

 

 

深煎りの豆よりも浅煎りの豆のほうが実は硬いし、深煎りの豆は熱を加えられる過程で膨らんで体積が大きくなるが、浅煎りの豆の体積は深煎りの豆のそれより小さいままだ。ボダムの電動ミルを先に買ったが、浅煎りの豆を丸のまま吐き出すことが時折あったから、TIMEMOREを買い直したのだ。これが正解だった。少し値は張るが、同じ価格帯でこれよりも良いミルは恐らくないと思う。 

 ドリップスケール*2の上にガラスポットとV60ドリッパー(フィルター)を載せ、挽いた豆を淹れ、ドリップポット*3でお湯を注ぐ。時にはフレンチプレスで淹れることもあれば、ブリッカ*4で淹れることもある。

 いっとき、家でコーヒーを1日7〜8杯飲んでいた時期があった。コーヒーを飲むとお腹を下す体質だったからその意味でも避けていたけれど、その頃にはもう既に、仕事のストレスで下しているのか、コーヒーで下しているのかも曖昧になっていて、もはや気になることもなかった。気づいたときには身体が慣れていた。体質を好奇心とストレスでねじ伏せた。

 ゆく先々のコーヒー店で気になる豆があれば豆のまま買うようにもなった。月額いくらで毎月家にコーヒー豆を届けてくれるpostcoffeeなるサブスクリプションサービスにも登録してみた。毎月上旬に50gを3袋ずつコーヒー豆が送られてくる。パッケージに書かれているフレーバーノートには、例えばこんなことが書いてある。“Rosted Nut, Chocolate, Spice, Cherry”…タンザニアのアルーシャにある、標高1650mの農園で収穫され、ウォッシュドで加工された豆だそうだ。そのままドリップで飲んでも、挽きたてはうまいなあぐらいで、特にこれといって感想があるかと言えば正直出てこないのだが、フレーバーノートを見ながら飲むとなんとなく拾える気がしないでもない。気がしないでもないだけだ。誰かの言葉の上をなぞっているだけだ。分かっているつもりのことも教科書をなぞっているだけに過ぎない。でもそんなことを数ヶ月間繰り返していると何が起こるかと言うと、美味しくないものは美味しくないのだ、というトートロジーに行き当たる。ある時、街場のイタリアンで飯を食べ、食後のエスプレッソを頼むことがあった。けれどクレマは薄過ぎてすぐ消えた。エスプレッソマシンはあそこのメーカーだ。流量は足りてるようだからタンピングや粒度というよりは、豆が酸化してるのかもしれない。イタリアの本場っぽく砂糖は添えてあるけれど、とまで考えたところで、目の前にある相手が、私の目の前にあるエスプレッソカップを見て問いかけた「エスプレッソってそれだけしか入ってないんだ」コーヒー豆を細かくして、9気圧って高圧力でかなりの濃さで出すからこの程度しか出ないんだ。「それって美味しいの?」美味しいよ。美味しいやつは……とまで言ってハッとした。まるで、とか、みたい、なんて予防線を張るまでもなく、その時の自分は本当に嫌な奴だった。一丁前に何を考えていたのかと思うとゾッとした。そこに本質なんかないはずなのに。……たぶん。

 それと前後して、同年代同士で飯を食う機会があった。銀座のスペイン料理店だった。食後にコーヒーを飲むか、紅茶を飲むか訊かれて紅茶を頼んだら、出てきた紅茶がやたらと美味かった。言ってしまえば、自社の紅茶よりも断然気に入ってしまった。出てきた紅茶はどこのものかと聴くと、マリアージュフレールマルコポーロとのことだった。門外漢でも聞いたことがあるブランドだが、実際に飲むのは初めてだったと思う。向かいで一緒に飲んでいた男は、その場でその紅茶を通販で注文した。その時向かいにいた男は、それ以降気に入って常飲しているらしい。飲むたびに銀座のその店を思い出す。多分きっと、紅茶を飲むたびに私も思い出し続ける。女が男に花の名前を教えたり、あるいは男が女に煙草を教えるのにある種近いのかもしれない。その花は毎年その時期に咲き続けるし、煙草は女の肺と思い出を蝕み続ける。印象に残すということは、呪縛のそれに近い。エスプレッソが美味くないイタリアンという意味では、例の店も呪縛を残すのにある種成功してしまっている。皮肉な話だった。でもこれも、どこまでいったところで、私という半可者が知ったふうな口を利いた挙句、勝手に転げ回ってるだけの話だ。

 話が横道に逸れてしまったが、結局ここで書いているのは、自分の置かれた環境や、ことあるごとに目の前に差し迫る状況だったり、またその途上で野放図に取り込み続けてしまっている経験や付け焼き刃の知識の処理の仕方についての戸惑いに関する話だった。弊社には紅茶やワインの専門家はいても、本当のコーヒーに関する専門家は実は不在なのだ。これは掛け値なしの事実だった。もう、凡ゆる意味で何もかもが早過ぎたし、または遅過ぎた気がするし、あるいは適切なタイミングなんてハナからなかったような気がする。でも決断は得てして、何もかもが足りてないところから為されるものなんだろう。今回の、あるいは今までの自分の転職のように。これは私の話でもあるし、会社の事業立ち上げに関する話でもあるし、会社全体の話でもあるし、たぶん凡ゆることに準用可能な話だ。

 

(所要時間:1時間15分)

 

 

 

*1:ある食品から感じられる香りや味の特徴を、類似性や専門性を考慮して円状かつ層状に並べたもの。味や香りについて共通認識を持ち、コミュニケーションする手段として用いられる。コーヒーのほか、ウイスキーやビール、ワインにも類似のものが存在する

*2:コーヒー屋さんが使う、タイマーと秤の機能が一体になったもの。コーヒーをハンドドリップで入れる場合、経過時間と注ぐお湯の重さを測りながら決まった手順で行う。15gの中挽きのコーヒー豆に、200mlのお湯を60ml/60ml/80mlの3投に分け、30秒蒸らしでトータル2分30秒になるよう注ぐ、など。

*3:細口のお湯注ぐやつ

*4:ボイラーに似た原理でコーヒーを出す、直火式のエスプレッソ(モカコーヒー)メーカー

ひとり飲むこと。

 古い友人と酒を酌み交わしているときに、「そういえば、なんでこいつと仲良くなったんだっけ?」と、ふと思うことがある。

 つい相手に訊いてみたりもするんだけど、相手の記憶も曖昧で、お互いにお代わりのハイボールを飲み干す頃には、そんなこともどうでもよくなっているのが常だった。

 古い友人と出会ったきっかけよりも、そいつと飲み屋の前で別れたあと、街を彷徨いているときに出くわした、今では顔も思い出せない女とゆきずりで夜の街を歩いたことのほうが印象的だったりする。出会い方が印象的であればあるほど、むしろそれからの関係は希薄になりがちなのかもしれない。

 渋谷川のほとりにあるバーを、終電が過ぎ去ったあとに出た。明治通りを何を喋るでもなく一緒に歩く。ここが円山町だったら話は早かったかもしれない。でも結局は同じだった。

 結局その女とは、2度か3度酒を飲んだっきり会っていない。覚えているのは鎖骨の下に黒子があることぐらい。最近流行りの歌じゃあないが、何かの花の匂いがしたのを覚えている。連絡先さえもまともに交換してなかったから、むしろ2度目があるほうが不思議だった。少し前の話だった。

 

 閑話休題

 

 わたしは今年で26歳になったが、バーとの付き合いは実のところ、一昨年の10月に遡る。高校生の時分から付き合っていた彼女と別れたのがきっかけだった。

 バーには元々憧れがあったが、ずっと行けずじまいだった。当時の彼女に首ったけだったし、何よりバーの重そうな扉を開く勇気がなかった。

 今となっては恥ずかしい話だが、自分なりに、彼女と別れたからとやけになったところもあるのだろう。いくつか行ってみたいバーをピックアップし、そのうちの一つに行ってみた。たしか、新橋のシガーバーだった気がする。慣れない強い酒と、ほぼ初めての葉巻。店を出たあとに、新橋駅でものの見事に撃沈した。意識が朦朧として手足がしびれた。病院のお世話にならなくてよかった。よく生きて帰ってこれたと思う。

 次の日の朝、別れたばかりの彼女から連絡が来ていた。

「頭おかしいんじゃないの?」

 酔った勢いで連絡していたらしい。本当に情けなかった。

 

 同じ時期ぐらいに、渋谷川のほとりにあるバーに行った。

 水曜日の開店直後だった。

 今まで入ったどのお店よりも店内は暗かった。綺麗な木目のバーカウンターと、バックバーにだけライティングがされていて、酒の瓶がきらきらと輝いて、その明暗の差に目がちかちかしたのを覚えている。

 後から知ったが、バーの中でもオーセンティックバーと呼ばれる部類の店だった。

 そこでわたしはあろうことか、「バーには全然行ったことがない。勉強させてほしい」と頭を下げた覚えがある。バーテンダーはそれを肯定してくれた…と思う。今となっては、なんて言われたかはっきりとは思い出せないが。

 それから、おおよそ月に1度くらいのペースで通っている。

 

 いつからか、名前を呼んでくれるようになった。

 最初は名字にさん付けだったけど、そのうち苗字にくん付けで呼んでくれるようになった。

 他のバーに冒険しようとしたこともあるが、結局ここに戻ってきてしまう。勉強させてくれと頼んだのに、このバーテンダーは、食事を済ませてきたかどうか、どのスピリッツをベースにするか、重めか軽めか、甘いか甘くないか、を訊いて、カクテルを出してくれる。カクテルの名前は教えてもらっていない。名前なんてないのだろう。勉強になんてならない。間違いのない店だが、最初の一軒目としてはあまりよくなかったようだ。

 1杯目はジンフィズと決まっている。2杯目は決まっていない。ある時ウイスキーをストレートでお願いしたら、「君はウイスキーも飲むんですか!」と驚かれた。ふふん、シガーバーにも出入りするようになって、ちょっとだけ覚えたのだ。といっても、こういうときに何も見ずに頼めるのは、カリラぐらいなもんだけど。

 

 去年12月の頭に、渋谷川のほとりのバーに行った。

 ひょんなことから、わたしの名刺をバーテンダーに渡したのだが、

「うちに来てくれるようになってしばらく経つけど、君が名刺をくれたのは初めてだね」

と言われた。たしかに、店に通うようになって間もない頃にバーテンダーから名刺を頂戴したことはあったが、こちらから渡すことはなかった。

 渡すきっかけも、お酒にまつわる繋がりからだった。タイミングを見て押し付けようとした、というよりは、わたしが帰ったあとに来るであろう、ある人物への置き手紙としてだったけれど。

 

 つい最近、そのバーの近くに引っ越した。家賃は倍になって部屋の広さは前の家の1/3になった。土岐麻子の歌みたいだと思った。流石に17平米よりは広いけど。

 

 お気に入りのお店に歩いていける距離になった。

 このあたりに引っ越した、と話したら「営業が締まったら今度飲みに行きましょう」と言ってくれた。リップサービスは1/3くらいはもしかしたら含まれているとは思う。何にせよ、締め作業が終わったあたりで時間は3時を過ぎる。「終わった後はだらだらと辛気臭く飲んでるだけですけどね」と言っていた。けれど薄暗いバーで、せっかく美味しいカクテルが目の前にあるのに隣の人間と腹の探り合いして、そのうち何を飲んでいるのかさえ曖昧にしていくよりよっぽど良いように思えた。

 終電が関係なくなったかと思えば、忌まわしい感染症の煽りで22時には店仕舞いになる。一番辛かった緊急事態宣言中を乗り越えたお店だから絶対生き残ってくれると思うけど、やっぱり心配になる。自分が出来ることはあまりにも少ない。

 

 どこの店に行っても、僕とお店の人とでサシになれば、出てくる話はだいたいいつも同じだった。でも話せるだけいいのだ。行きたかった店も好きだった店も、少なからず消えてしまったのだから。

 

 下北沢でお気に入りのイタリアンがあって通い詰めていたが、そこで働いていてよく声をかけてくれていたシェフが奥渋谷で独立した。でも独立してすぐに世の中は自粛ムードになった。

 今年の緊急事態宣言前夜、顔を出した。22時には店を閉め、シェフと、福島から出てきたばかりのもう一人の若い子が締め作業をしながら、僕に不安を吐露してくれた。

 ここでその内容に触れることほど無粋なことはないので詳細は省く。でも端的に言って、通常客にする話ではないことは確かだった。それはシェフと僕との間の関係があっての話で、それでもしばらく足は遠のいた。

 宣言のせいにも出来たが、素直なことを言ってしまうと少し気が引けたのは確かだった。でもそう思ってしまうことさえ、ちょっとした裏切りのような気がして後ろめたかった。それ以降は夏に会社の先輩と一緒に顔を出したっきりだ。

 このあいだその店に飛び込みで顔を出したら、忙しい中「おー!!!」と言ってハグしてくれた。予約で埋まる日も珍しくなくなってきたと云う。以前いた若い子はいなくなっていて、僕と同年代ぐらいの、腕の良い頼れるシェフと一緒に店を回している。今が一番楽しいんだと彼は云った。

 気持ちが落ちていた時期を垣間見ていたぶん、正直安堵した。この感情を「嬉しい」と呼べるほど流石に僕も図々しくはない。いつかの福島の子の行方も聞くのは野暮だった。行きつけのバーでマスターとずっと一緒にやっていた人もいつの日か見なくなった。生きてくれていたらそれでいい、というのもずるい気がした。

 

 自分にできることは結局のところ、幾ばくかの対価をお渡しすることと、ささやかな祈りしかないのだ。

バー考

 

 2018年10月に初めてバーの扉を叩いた。

 日時が具体的なのは理由があって、ちょうどこのとき7年付き合ってた彼女と別れたので、今までやってこなかったことをやってみようという気持ちが出てきたからだ。

 初めて入ったバーが新橋のシガーバーだったので、それと同時に葉巻も始めた格好になったんだけど、飲み慣れてない酒+初めての葉巻でこっ酷い目に遭った。

 具体的に言うと、葉巻でがっつりヤニクラ(ニコチン酔い)した挙げ句に酒でもベロベロに酔って、新橋駅の駅そばで、かけそばを頼んだ挙げ句につゆだけ飲んでからの記憶がない。LINEの履歴を見たら別れたばかりの彼女に電話してて自分に引いた。

 

 いいんだよこんな話は。

 

 自分が通い始めたバーはオーセンティックバーと呼ばれる類のもの。明確な定義があるのかは知らない。店の中が暗くて、バーテンダーさんがシェイカーを振っている感じの、バーと聞いて普通に連想するようなちょっと敷居が高いバーを指して「オーセンティックバー」と呼ぶ。

 でも、最初に通い始めた時はショットバーでもまあまあ怖かった。モルトバーって言われてもそれはそれで分かんないんだよな。ショットバーでもモルトバーでもカクテルが出るところは普通に出るし。わざわざマスターに訊くことでもないと思う。デートに使えそうならオーセンティックバーという解釈でいい。

 

 初めてバーに行った時は、「なるようになれ」という気持ちと2万円を握りしめていった。シガーバーではこれが正解だった。

 だいたいのオーセンティックバーでは、会計は一人あたりおおよそ5〜6千円程度。だいたいこれで3杯くらい飲める。チャージは1000〜1500円くらいかかる。

 チャージはそれなりにする。するんだけど、その分チャーム*1は出てくる。ツナを練り込んだクリームチーズを載せたカナッペとか、ドライアップルとか。いつ行ってもマイクポップコーンしか出ないバーもあったりして、このあたりはお店の個性が出る。

 

…でもシガーバーはここに葉巻の値段が乗っかってくるのだ。シガーバーで並ぶ葉巻は底値でも1600円程度だ。初めてのバー体験で払った会計は8000円だかそこらだったと思う。酒が入っていたので「オッケー」という気持ちで払ったのだが、まあまあひどい状態でも金額はうっすら覚えているあたり、もうちょっと酔いが醒めた状態でその金額を目の当たりにしていたら血の気が引いていただろう。シガーバーに行かなければビビるくらいの会計が出てくることもまあないから、よほど葉巻に興味があるというのでなければこのあたりは気にしなくていい。

 

 デートでバーというシチュエーションを選ぶなら、それなりの覚悟は必要だと思う。慣れない場所で緊張したりしないようにとか。そういえば、一度銀座コリドー街のバーに入ったら、女性がナンパで一緒になったらしい男性のほうを完全に潰しにかかってる光景を目にしたことがある。当時私は24か5になったくらいだったと思うが、初めて東京という場所が怖いと感じた。彼は生きて帰れたのだろうか。コリドー街は自分にはまだ早いと思った。

 話がそれた。

 とまれ、私はバーにはなけなしの現金と覚悟を持って扉を叩くことにしている。

 

 覚悟にも様々な解釈はあるけれど、ここでは仮に「ビビらない心」と「物事を素直に受け止める心」の2つを置く。

 

 自分が飲むのはだいたい渋谷か新宿だ。銀座は一度か二度行ったっきり行っていない。渋谷・新宿と銀座とでは接客のスタンスそのものが全然違う気がする。

 「ビビらない心」で言うと、先述の銀座のバーに初めて入ったときの緊張感を今でも思い出す。

 席に座るよう促され、バーテンダーからおしぼりを渡される。オーダーを訊かれてジンフィズを頼む。そして痛くもない腹を探られる。

「もしかして、以前いらっしゃったことはありますか……?」

「いえ……」

「それは失礼いたしました。このような…普段からバーで飲まれることが多いのですか?」

「ええ、渋谷が多いですね…」

「そうなんですねぇ…ちなみにお店って……?」

「石の華さんに……」

 このあたりでバーテンダーが「ほう、炭酸抜きコーラですか…」みたいな顔をする。その時から渋谷で通っていた店ではここまで腹を探ってくることは当然なかったので、思わぬ洗礼に胃がキリキリした。酒を飲む前から。もっと言うと、【石の華】という有名なバーは渋谷に実際あるのだが、このタイミングでは3〜4回くらいしか行ったことなかった。あの名店のめっちゃ常連ですみたいな面して答えたが、自分がよく行っていたのは、オープンからまだ日の浅い、また別のバーだったのだ。*2

 そして出てきたチャームは、野菜スティックと小さくてやたら分厚いマグカップに入った、異様に濃いコンソメスープだった。面食らったチャームは後にも先にもここだけだった。銀座のバーやべえな、という感想が素直に出た。野菜スティックには苦手なセロリが入っていたが、何食わぬ顔で食べた。大人なので。

 胃はキリキリしたし結局話のオチとしてはビビりちらしてるんだけど、何があっても受け入れる覚悟があればなんとかある。

 もっと言えば、上記は良くない例だ。知ったかぶりとか一番良くない。

 分からなければ「分からない」と伝えて、

  1. 食事は済ませてきたか
  2. 普段どんな酒を飲んでいるか(甘いほうが好きとか、甘くないほうがいいとか)
  3. 苦手な酒などはないか
  4. ショートかロングか(強いほうがいいか、強くないほうがいいか)

 上記の3つを念頭に置いて答えればなんとかなる。

 おおむね、ショートカクテルが度数が強く、ロングカクテルの方が(比較的)度数が弱いという理解。無論、ロングカクテルでも度数がエグいカクテルは存在するので例外はある。*3

 そうして出てくるカクテルは、名前があったりなかったりする。ウイスキーが入ったグラスに水を加えてステア*4すれば水割りになるけれど、水の入ったグラスにウイスキーをマドラーに沿わせながら静かに注げば、ウイスキーフロートという名前のカクテルになる。このように、文字通りさじ加減で名前も味も変わるし、その時々の客の体調に合わせてバーテンダーも調合を変える。そういった意味ではカクテルは星の数ほどあるのだ。好きなカクテルの名前は覚えておいて損はないが、覚えてなくても案外なんとかなるので安心してほしい。むしろ誰かと一緒にいて、こちらも気を利かせなければいけない状況なら、下手にカクテルの名前を並べるよりも、相手の状態を把握した上でバーテンダーに伝えたほうがより的を得た対応になる。一緒に行く側も、そうしてくれる同伴者と一緒にバーに行くべきだ。

 

 そして、「物事を素直に受け止める心」で言うと、バーはバーテンダーの所作も見どころだから、「あれはどんなカクテルを作っているんだろう」とか、バーテンダーと常連の話をぼんやり聞いているだけでも楽しい。

 バーテンダーがカクテルを作る際に行う工程にはすべて意味がある。調合するお酒の分量は勿論、シェイカーやミキシンググラスに入れる氷の選び方、ステアの回数、シェイカーの振り方や振る長さ、注ぎ方に至るまで。シェイカーにも丸いものとボストンシェーカーと呼ばれるものの2種類がある。一回のステアで解ける氷の量は4ccと何かで読んだ。修行時代は鏡の前で練習すると聞く。でも格好だけではない。

 

 シェイカーも闇雲に振っているのではなく、内部がどのような状態になっているのかをイメージしながら振る。各工程の意味を想像しながらグラスを傾けると、バーテンダーの工程の意味がつかめてきたような気がして面白い。実際のところ何一つ分かっちゃいないけれど。

 見ているのが楽しいから、自分はバーにいる間は滅多に携帯を見ない*5し、バーカウンターの上に置いておくこともしない。

 そうそう、バーカウンターの上には余計なものは置かないように。腕時計も外そう、メタルバンドなら特に。バーカウンターはバーにある汎ゆるものの中で一番高価で、バーテンダー自身が予算と相談しながら、市中の材木屋を駆けずり回って吟味した末にこれだと決めるものだ。傷をつけることも、火がついた煙草が転がすことも絶対に避けるべきだ。

 

  いい店の基準は人それぞれだ。静かな店がいいか、落ち着く店がいいか。客の意向に忠実にあることを是とする人もいれば、こちらの要望に沿ってより最適な提案をしてくれることを是とする人もいる。どちらがより優れているというわけではない。その人なりの居心地のよさというのがあるから。

 それで言うと、自分は比較的なんでもいい。何度も通っていると、そのうち店に入ったときに「〇〇様」と呼ばれたりするようになるし、バーに行き始めてからずっと通ってるお店のバーテンダーには、最近になって遂に「〇〇君」と呼ばれるようになった。位(くらい)が下がってるようでいて、気安さがあって嬉しい。初めて入る店は今でも緊張するけど、今ではそれもいい意味で慣れてきた気がしてきた。ちょっとは場馴れするようになったようだった。

 ぼちぼち銀座のあのバーへリベンジしに行けるかもしれない。

 

 ここまで書いてなんだけど、バー行くのだいたい一人なんだよな。誰かと行くことが全くない訳ではないけど、一人のほうが圧倒的に多い。銀座のバーも一人で行った。コリドー街のバーに行き場のなさそうな男が一人ふらっと入ってくるのを想像したら途端に居たたまれなくなってきた。あの腹の探り合いも、あのバーテンダーなりの慰めだったのかもしれない。去り際に彼からは名刺をもらった。オーナーがしばしば入れ替わるあのバーで、彼はチーフバーテンダーだった。

 今も銀座のバーカウンターに立ち続けているんだろうか。

 

 

 

 

お題「ささやかな幸せ」

*1:居酒屋で言うところのお通し

*2:どちらが上か下か、という話では決してない。本当に!

*3:スクリュードライバーロングアイランドアイスティー、ハーベイ・ウォールハンガーなど。レディーキラーと呼ばれる度数が強いカクテル群は護身のためにも頭に入れておいて損はない

*4:バースプーンで混ぜること

*5:そもそも、バーは閉鎖空間で携帯の電波もなかなか通らないことも多い

お取り寄せ考

お題「#おうち時間

 

 新型コロナウイルス禍で、弊社も4月から在宅勤務と相成った。

 合間にパイプたばこを吸いながら、Amazonで買ったひと箱ぶんのリアルゴールドを飲んで頑張っている。たまに合間に30分くらい寝たりもしている。在宅はだめだ。自分には全く向いていない。

 警備会社に勤めているときは、制服を着用し、帯革を腰に巻き、制帽を被ることで役割を演じてきた。営業も同様だ。ワイシャツを着て、スーツを着て、ネクタイを締めることで役割を演じてきたが、自宅だと取り繕いようがなかった。今は会社に秘密で髭を伸ばしている。剃る機会を待ちわびている。

 

 閑話休題

 

 会社帰りに飲み屋やバーにひとり立ち寄っては気持ちを持ち直すことをやっていたが、このご時世ではそれもままならない。でも私達にはお取り寄せがある。

 下記に今までお取り寄せしたものを記す。

 

 

trias_online【家庭 de レストラン】

triasonline.thebase.in

 渋谷に勤務する知り合いから教えてもらった。曰く、在宅勤務以前はランチでよく利用していた店舗とのことだった。パスタとラム肉が美味しいとのことだったので、それに倣って1万円分注文した。価格改定を結構頻繁にしているので、ここにはあえて価格の内訳は書かない。また、メニューもちょくちょく変更している。飽きさせない工夫だと思う。下記の記載については4月中旬に注文した内容を元にしているから、参考程度にとどめてほしい。

 パスタソースセットと桜丘ポーク丼セット、ラムチョップ2ピース、ラム肉パテを注文した。

 桜丘ポーク丼とラムチョップ、ラム肉のパテはおいしかった。桜丘ポーク丼に関しては、暖かいご飯の上で自然解凍するように、とのことだったが、全然溶けないので普通に湯煎してほぐした。これはタレが3種類ついていて、自前の卵黄と合わせて食べるとまじでうまい。10食セットだったので、ちょっと贅沢な在宅勤務のお昼ごはんに好適だった。

 ラムチョップは商品名が

「【単品でもどうぞ】世界一のラムチョップ 2P ハーブソルト」

 とある。流通量が1%しかないアイスランド産のラム肉だ。わたしはアイスランド産のラムを出すお店は、ここと中野ゆきだるましか知らない。

ジンギスカン ゆきだるま中野部屋
〒164-0001 東京都中野区中野3-33-20 五差路ビル2F
3,500円(平均)
r.gnavi.co.jp

 さすが世界一。まず第一に、めちゃくちゃ骨離れがいい。ジューシーで嫌な臭みがまったくない。冷凍したのを湯煎してもこの品質なのだから絶対に間違いはないと思う。同じラム肉を使ったパテはワインのよいアテになった。

 ※少し話は逸れるが、ワインはこれを飲んだ。友人に勧められて飲んだらばっちりハマってしまった。ダリオ・プリンチッチさんが作ったイタリアの自然派オレンジワインだ。

 逆に難しいと感じたのは、パスタセットのほうだった。4種のソースが各2食分と生パスタがソースの数だけ入っていた。ソースは既に調製され、真空パックに入っているものを湯煎する。手長エビやポルチーニがゴロッと入っていたりしてなかなか豪勢だった。生パスタは塩をちゃんと入れたお湯で茹でるのがベターとのことでそのようにした。ソースの塩加減もしっかり決まっていてよかった。

 ただ、冷凍→解凍を経たパスタソースは乳化が解けて分離してしまう。袋を振って再度乳化させるなどの工夫はユーザー側でしたほうが良いと思う。(先程商品ページを見たら、フライパンで温めるよう記載があった)市販の冷凍パスタは増粘剤や乳化剤を添加してこの課題を乗り越えているが、メーカーのような研究開発は市井のレストランには難しい。特にクリーム系のパスタには致命的だと思った。これについては店頭で実際に食べたほうが100倍おいしいと思う。ほとぼりが冷めたら絶対お店に行きたい。

 

 南インドカレー専門店「ERICK SOUTH(エリックサウス)」

www.erickcurry.jp

 お取り寄せの中で一番好きだった。

 オーナーのイナダシュンスケ氏のTwitterが好きでフォローしていて、ついでに著書も買った。 

 

 エリックサウスの店舗も行ってみたかったけど機を逸した。だからエリックサウスのカレーがこれが初めて。

 冷凍食品を見回しても、カレーの冷凍食品は決して多くない。だいたいはレトルトパックだ。冷凍食品はあってもコロッケの中に入っているとか、ドライカレーだったりする。冷凍したカレーはたいていの場合、率直に言って美味しくないのだ。でもこのカレーはちゃんとおいしかった。

 バスマティライスを電子レンジで温めると漂ってくる香ばしい匂いがにくい。気をつけなければいけないのは、カレーをかけた後はあまりかき混ぜないことだ。バスマティライスを混ぜ込むと米が折れてぼそぼそになる。丁寧にすくい上げて食べよう。

 4000円で送料無料のバラエティパックをまず買って、そこから好みに合わせて追加注文するといい。

 基本的に、テイクアウトやお取り寄せのピークは買うその瞬間にある。経験はないだろうか。Amazonとか楽天とか、なんでもいいのだが、注文するときはワクワクしていても、実際に届いたものを目にするとちょっと冷静になってしまうことが。

 ステーキ肉1kgって案外多い/少ないとか。訳有りバームクーヘン1kgとか冷静に考えたら食いきれるわけないじゃんとか。生ハム原木はちょっとやりすぎたなとか。そして実際に食べて気持ちをちょっと持ち直したりする。

 (生ハム原木は後悔だけが募った。もう5年も前の話だ。)

 期待値は曲線のグラフで表すことが出来る。テイクアウトの代表格である宅配ピザは、その期待値の下降速度を抑えるために30分以内に届けることを原則としているし、それ以前に、ランディングページの作り込みによって期待値のピークを引き上げ、期待値が閾値を下回らないために心血を注いでいるのだ。もちろん、届いてからの品質にもこだわっているけど。

 そういった意味では、電子レンジで温められたバスマティライスの香ばしい匂いは本当に卑怯だった。

洋野うに牧場の四年うに(塩水パック)100g/1パック

www.tabechoku.com

 訳わかんない取り寄せシリーズ。

 敬愛する小林銅蟲先生に完全に影響されたシリーズ1です。この数字は伏線です。 

negineesan.hatenablog.com

 ウニ、これでも魚屋の倅だったので100gの単位は未知ではなかったけど、塩水ウニというジャンルは完全に未知だった。食ってみた感想としては、「なるほど」という感じだったとしか言いようがなかったけど、米を継ぎ足しながらウニを食べてたら、さっき炊いたばかりの米3合を一人で消滅させていたのは完全に意味不明だった。千鳥酢に砂糖と塩を入れて煮立たせたものを飯に混ぜ込んで塩水ウニと一緒に食べると脳がバグる。絹かけ丼は結局チャレンジできなかった。その前に米とウニが消滅してしまったので。

 意味不明な体験をしたい人には塩水ウニ絶対おすすめしたい。

上牛タンブロック【先無し旨いとこだけ】:オールミート

小林銅蟲先生に完全に影響されたシリーズ2です。伏線回収します。

negineesan.hatenablog.com

 心とは?

 これは牛の舌です。牛タンブロックを低音調理した。言葉よりも図をご覧いただいたほうがよい。

https://www.instagram.com/p/B-mM4goJgBZ/

@inudog_toribird on Instagram: “優勝した。1枚目は表面を焼き固めている図です #低温調理 #牛タン #優勝”

 弊Instagramです。ご査収ください。顔出ししてる。写真は複数枚ある。

 

Azrsty 低温調理器

 牛タンを低音調理したのはこれ。 

  BONIQは予算的に厳しかったから、アイリスオーヤマの買っておくかと思ったけど在庫切れで半ギレ。自暴自棄になって怪しいメーカーの低音調理器買ったら爆アドだったという経緯がある。なお、この端末はカバーを外すと内部のパーツがボンドでモロに留めてあって笑えるというおまけ付き。予算が許すならBONIQかAnova買ったほうがいい。

 いちおうTANITAの温度計で温度を図ってみたけど、誤差は0.4℃程度に収まっているので実用の範囲内。タッチパネルの感度が悪いのも許容範囲内。入れる鍋の問題だけど、100均で10リットルのバケツ買ってきて低音調理器突っ込んで適当なもので蓋するとアド。Amazonで売ってる専用のケース買う必要はない。ハッシュタグでBONIQ関連のInstagram投稿見てると、鍋に食材と機械をギチギチに詰めてる写真がシェアされてるけどあんまりおすすめはしない。湯を循環させてなんぼなので。

 

伊豆筏場産本わさびMサイズ2本 / わさび専用おろし金 / わさびの葉・茎セット

www.tabechoku.com

 ちゃんと立派なのがきた。おろし金もいい。スーパーの刺身なんかでも本わさびでアドになる。けど用途が不明瞭のまま買ってしまったので完全に途方に暮れている。保存はある程度利く。わかんなかったら白ごはん.comを頼れ。使いみちを募集しています。

 

Cameronsキャメロンズ ストーブトップスモーカー

 衝動買いシリーズ

キャメロンズ ストーブトップスモーカー

キャメロンズ ストーブトップスモーカー

  • メディア: ホーム&キッチン
 

  同僚のクレーム対応を代行したら甚く感謝され、何でも買ってやると言われたのでこれ買ってくれと雑に楽天市場のリンク送りつけたらマジで買ってくれた。それは流石に悪いからと普通に買い取ったので結果として訳が分からなくなった。大人の世界はこういった謎の出来事が起こる。まるで人生。そう、これは人生の話をしています。

 家庭用のSiセンサーがついたガステーブルだと本領を発揮できないのでカセットコンロがあるといい。自分は後から買い足した。彼は出費がかさんで出血多量で死に至った。このブログエントリを書いているのは亡霊です。知っていましたか?

 楽天で買ったものは小さい背の低い網がついており、うずらの卵とかミックスナッツをそのまま燻製できるのでアドだった。クック&ダインに間違いはない。商品ページはいつのまにか消滅していた。各位においては穴を開けたアルミホイル等で代用するように。

 ベーコンたくさん作りたくてデカいの買ったけど完全にデカすぎたので、キャメロンズのミニスモーカーを買ったほうがいい。

 

 あと煙は死ぬほど出るので換気扇は強めにすること。

 ベーコンの仕込みとか食材の仕込みめんどくさ…ってイメージはついて回りますが、店売りの魚の干物とかは塩味効いてるのでそのまま燻製にかけるとうまい。ホッケとか厚みのあるものは時間をかけないと生煮えになるので注意。

https://www.instagram.com/p/B-latdjJOxt/

@inudog_toribird on Instagram: “うずらの卵と笹かまの燻製 #燻製 #燻製たまご #燻製づくり #おこもりごはん #おうちごはん”

  完成イメージ。下にアルミホイル敷いておくと洗い物がだるくならないので必須。みんなどんどん自宅で燻製してほしい。ついでにInstagramをフォローしてほしい。

 

 


Portugal. The Man - "Feel It Still" (Official Video)

 在宅勤務の合間にこれノリノリで聴いてテンションを持ち直している。この曲のLive Stripped Down Sessionのほうも好き。


Portugal. The Man - Feel It Still (Live Stripped Down Session)

 ニチイ高田。

 

 各位、どんどん経済を回そう。

働きながら酒を飲むことについて

お題「わたしの仕事場」

 

p-shirokuma.hatenadiary.com

 

 拝読した。

 

 一応スーツ着て営業をやっていた自分も遂にリモートワークと相成った。普段何の気なしに使っていたオフィスの椅子が実は数万する、ということに気付かされた。オフィスの机がとある理由から家に欲しくてたまらなかったのだが、リモートワークになってから初めて値段を調べたらひっくり返った。もはや警備会社の初任給ではないか。半額ぐらいなら考えもしたが。もう腰が痛いし猫背もひどくなる一方なのだ。死ぬか買うか、それだけが今問題だ。

 とは言えそれでも、酒を飲まなくても仕事はやっていけている。

 リモートワークになるずっと前、対面商談で相手方からサンプルのお酒をいただくことがあった。1杯1杯は数ml程度だったが、蒸留酒の飲み比べで、合計してワンショットほどとなればそこそこの量だ。私と上司は酔っ払った状態で午後の業務に取り組むことになった。その日の午後はめちゃくちゃ進捗が出た。リラックスして業務に取り組むことで、言葉がつんのめらずに本腰の商談に望めてしまったのだ。

「今日は調子がよい」とその日は冗談めかして同僚に話していたりもしたのだが、自分の口を突いて出た言葉にハッとしてしまった。

 昔を思い出してしまったのだ。

 私は今年で20代も半ばを過ぎたが、私が働き始めたのは小学4年生の頃だ。夏休みや冬休み中は、小田急の始発に乗って親父の職場に駆り出され、夕方には開放されるという生活を送っていた。時給400円で。

 これは高校3年生まで続いた。流石に高校生になってからは時給は950円に上がった。とは言え、小学生の時分は長期休み中だけだったのが、中学生になってからは夕方から閉店までと時間帯を変え、週4〜5で働かされたのを覚えている。時給の値上げは父親からの提案だったが給料は遅配し続けた。これならコンビニで働いたほうがいくらかマシだった。それでも私はまだましな方だ。私の兄貴は父親の都合で学校を休まされたりもしていた。気の毒だった。

  この時期のことと言えば、職場で元従業員から脅迫電話を受けて父親に警察署に連れて行かれたり、借金取りに追われるあまり中学校を早退(中退、ではない)させられたりもしたが、このあたりも特筆すべきところはこれくらいだったと思う。特に波乱もなかった。抑うつ状態で小田原に逃げ、コンビニでビニール紐を買って山中を彷徨ったがその日のうちに帰宅したということはあった。五千円しかなかったのであっという間に尽きてしまったのだった。とりあえずビニール紐で首は吊ってみたが枝が折れた。私が今このブログエントリを書いているのもそのせいだ。

 遠い昔の話なので、このあたりはいい加減記憶も薄れてきたのだが、その就労経験の中で色々な人を目にしてきた。詳細は割愛するが、警備員時代に会ってきた人たちとそう遠くはない座標にいた。(それでも店舗責任者は流石に比較的真っ当な人だったが)

 

inudog-toribird.hatenablog.com

 

 そう、その中にひとりかふたりいたのだ。飲みながら酒を飲む人が。

 そのうちの一人は本当に仕事が早い人で、出勤前に一杯引っ掛けてくるぐらいだったので可愛いものだったが、もうひとりが曲者だった。

 常にサンガリアの安いお茶の缶と、自分のリュックを肌身離さず持っている従業員がいた。年は今から10年ほど前の時点で50代半ばだったかと思う。当時中学生だった自分はピンと来なかったが、兄貴が見たようだった。

「あのリュックの中には大五郎の大きなボトルが入っていて、隙を見てはサンガリアのお茶の缶に大五郎を移し替えているんだ」

 飲まないと手が震えてしまうのだそうだ。飲んでても手が震えてたけれど。

 飲んだほうが調子がいいらしい。

 人材不足だったのでそれでも働けていたが、その人は経歴を詐称していたらしく、居づらくなったのかそのうち結局見なくなった。

 高校3年生になってからは父親に訴えて仕事はやめさせてもらった。コンビニで働き始めたら、従業員が皆明るい上に給料の遅配がないので甚く感動したのを覚えている。四六時中酔っ払っている深夜帯の先輩はちょっと困った人だったが、そういう人は父親の職場である程度慣れていたので2年ほどはなんとかなった。結局は何も解決しなかったが。

 その後、私は警備会社を渡り歩くことになるが、酒を飲みながら仕事するやつはやっぱりいた。

 ある時、私はとある新規案件の立ち上げ要員として仕事を任された。他の警備会社からうちへの契約更改というちょっと胡散臭い案件だった。

 警備会社の入れ替えの際は、引き継ぎはあまりまともに行われないのが通例だ。クライアントから引き継ぎをするよう、元の警備会社に要望することは当然あるが、それも形だけの場合が多い。契約を更新してくれなかった会社の言うことなんて聞く義理ないからだ。

 紙の資料は破棄されてしかるべきだし、引き継ぎの際は他社の警備員とは一切口を利くなと指示されることも珍しくない。だから警備指示書(マニュアル)はクライアントの指示があっても完全版は渡せない。渡すにしても重要なページは間引いたものになる。

 ……それがその現場については、みんながみんな良くしてくれるのだった。

 元々いた警備員が入れ替え先の警備会社に引き抜かれることも確かに珍しくはない。慣れた職場を離れたくないというニーズはあるし、こちら側としても、ノウハウを持っている人間を取り込めればそれだけ滑り出しは好調になるからだ。

  その中に、人の良さそうなおじさんがいた。

 その現場に対する見識も深いし人当たりもいい。移籍を希望していて、こっちからまだ呼んですらないタイミングでうちの事務所に顔を出しにさえきた。

 私と一緒に現場立ち上げに動いていた上司は怪しんでいた。

 そして私は、入れ替え前の警備会社の隊員が、「休憩時間毎に」アルコール呼気探知機に息を吹き込み、帳簿に○を書き込んでいるのを発見した。

「それは、クライアントの指示ですか?」

 色々な意味で特殊な現場だったから、そういった可能性もなくはないかと思って隊員に聞いてみたら「いや、まあ……」と濁された。

 結局のところ、人の良さそうなおじさんがすべての発端だった。

 彼は完全なアル中だった。

 施設警備員は確かに24時間の当直勤務や夜勤が多い。夜勤明けや当直明けの明るい時間に酒を飲むこと自体はよくあることだった。

 ただ、警察や消防・医療従事者のようにちゃんとバッファが取られている職場なら夜勤退勤後は「非番」として自由に過ごせるが、警備員のように未来永劫人手不足の職業では、「非番」のない「夜勤明け夜勤」というのも珍しくなかった。

 いや、夜勤明け夜勤はまだ楽なほうだった。当直(当務)明け日勤、明け夜勤、明け当務。

 夜勤が終わり、朝一旦帰宅してシャワーを浴びて昼寝したら夕方からまた出勤。

 非番に酒を飲むのが習慣になってしまうと、この流れでうっかり飲んでしまうこともなくはない。

 松屋にビールが置いてあるのを見て、松屋で誰がビールなんか飲むんだろうと考えたことはあるだろうか。あれはかつては我々が飲むものだった。

 彼と同じ壊れ方をする人はたまに見る。

 仕事の合間だけだったのが、徐々に間隔も縮まっていったのだ。出勤時の呼気検査を乗り越えれば酒が飲めるなんて浅知恵で、それもすぐに露呈して現状があるのは明白だった。

 移籍の条件は元の警備会社との円満退職だったのだが、結局彼はうちに移籍する前に飲酒で元の警備会社を解雇された。結局移籍するまでの僅かな間も彼は我慢できなかったのだった。彼の行方も杳として知れない。

 どの職場にも絶対ひとりは酒を飲んでいる奴がいるという強い思い込みがあったが、今の職場には酒を飲みながら仕事している人が全然いなくて感心した。聞いてみればこれが当たり前らしい。どうやら別の宇宙に来てしまったようだった。

 

 リモートワークが始まった。飲ん兵衛の同僚は免許の更新の際、アルコールについての質問を馬鹿正直に答えてしまって別室に呼び出されるくらい愉快な奴だが、ある時zoomミーティングで彼はこぼした。

「もう飲みながら仕事しようかな。そっちのほうが調子がいい気がする」

 やめておけ、と言っておいた。戻ってこれなくなってしまうから。

 

 

 聞いてもないのに朝から「調子がいい」と口走る奴は8〜9割飲んでるから気をつけろ。

 私に言えるのはここまでだ。

 

サンガリア あなたのお茶 190g×30本
 

 

 

大五郎 25度 4000ml

大五郎 25度 4000ml

  • メディア: 食品&飲料
 

 

韓国映画をよく観るんですが。

 Netflixで独占配信されている韓国映画「鋼鉄の雨」を観た。

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 上の画像を押すとNetflixに飛ぶ。

 

 本国では結構受けたらしい。新宿ピカデリーで上映されても良かったと思うが、Netflixが版権を独占したようだ。自宅のSONY製27インチテレビで見るのも悪かないが、ちょっと寂しい感じもする。

 

 この映画は韓国のWeb漫画を原作にしているが、北朝鮮内の政変により第二次朝鮮戦争開戦(正確には現在に至るまで停戦中のため、「再開」になる)の危機を迎える……といった超ざっくりな大枠だけ一緒で、映画とは全然中身が違う。映画の方は、金正恩をモデルとした『北の一号*1』を反逆勢力が直接殺しに行くが、漫画は金正日が急逝するところから始まる。

 大昔に自分も日本語に翻訳されたweb漫画を読んだ覚えが薄っすらとある。なにせこの漫画、連載も終盤を迎える頃に、実際に金正日が急逝したからだ。情勢も相まって日本でもほんのちょっとだけ話題になった。内容は全然覚えていないし、国内での公開も終了してしまったが。

 映画版「鋼鉄の雨」は、米軍のMLRSが、韓国兵に扮した北朝鮮工作員によって乗っ取られ、開城工業団地の式典に出席していた『北の一号』暗殺のために発射されるのがこの映画の始まりだ。

 MLRSという兵器はざっくり述べると、親・子に分かれるロケットを発射する面制圧兵器と呼ばれるものになる。このロケットを上空で炸裂させることで、子爆弾の弾片を降り注がせ、兵員や軟装甲車両を100*200mの広範囲に渡って殺傷させるものだ。これが過去の湾岸戦争でも猛威を振るい、当時のイラク軍から『鋼鉄の雨』と呼ばれ恐れられた。

 これが映画のタイトルとも繋がっている。

 陰謀を掴んでいた偵察総局*2からクーデターの首魁を暗殺する命を受け、開城工業団地に居合わせていた元エリート工作員のオム・チョルウ。(演:チョン・ウソン

 鋼鉄の雨によって負傷した北の一号を匿うため、駐朝鮮中国大使が逃げるのに乗じて韓国の国境を渡った彼は、青瓦台外交安保秘書室*3の補佐官クァク・チョルウ(演:クァク・ドウォン)と共に、朝鮮戦争阻止に向けて動き出す…というのが、主だったあらすじだ。

 この南北バディものとも言うべきジャンルは韓国では割とお約束感がある。

 

 近年公開されたものだと、ハン・ソッキュ×ハ・ジョンウW主演の「ベルリン・ファイル」、


映画『ベルリンファイル』予告編(30秒)

ベルリンファイル(字幕版)

ベルリンファイル(字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

 

ヒョンビン×ユ・ヘジンの「コンフィデンシャル 共助」

 

コンフィデンシャル/共助(字幕版)

コンフィデンシャル/共助(字幕版)

  • 発売日: 2018/08/08
  • メディア: Prime Video
 

  それぞれ韓国の興行収入は好調だった。「ベルリンファイル」や「コンフィデンシャル 共助」は(背景はともかくとしても)日本人が観て楽しめる、アクション映画の快作だ。 

 ただこの2作品、南北バディもののジャンルムービーとして作られた側面もある。

 2000年より以前だったら、韓国でもこれらの作品は受け入れられなかったろう。韓国人にとって、金大中盧武鉉政権と続く太陽政策と、南北の分断を兵士同士の友情や悲恋で描いた「JSA」や「シュリ」の大ヒットにより、それまでの反共教育を跳ね返し、若年層の対北感情が緩和された背景がある。Netflixで独占配信されている「恋の不時着」はある意味その極地と言えるかも知れない。あれについての具体的なコメントは差し控えるが。

「鋼鉄の雨」も当然その流れは組んでいるものの、南北…韓半島が抱えているジレンマに直面し、その狭間で選択を強いられる主人公たちが主題だ。

 切っても切れないアメリカの影、南北統一、自立、真の独立。

 序盤、補佐官クァク・チョルウが大学生に向けて講義を行うシーンがある。制作側のネガティブな対日感情が伺えるシーンだが、対日イデオロギー(コンプレックスのほうが近いかもしれない)を南は経済成長で乗り越えたのに対し、北はそれを核開発によって乗り越えようとした、という持論を展開する。

 そして映画の結末は、南の統一省の役人と北の内閣総理が会談し、互いの「落としどころ」を話し合ったところで幕が降りる。この結末と序盤の講義は連動する。

  この映画の論評については、シン・ゴジラと絡めて書かれたものがあり、そちらのほうが分かりやすいので一度読んでみてほしい。

 

 映画としてはイデオロギーの部分を横に置けば、比較的綺麗にまとまっていた。

 何よりクァク・チョルウ演じるクァク・ドウォンの男泣きに胸を打たれた。そもそもチョン・ウソンとクァク・ドウォンは「アシュラ」という映画で因縁の関係(の役柄)だったのだ。

 

 チョン・ウソンのようなハンサムな男が無様に打ちぶれていく様も最高な映画だったけど、何よりクァク・ドウォン演じる検事の底意地の悪いこと!*4

 チョン・ウソン演じる汚職刑事を呼び出し、一方的に封筒で頭をしばき続けるクァク・ドウォンのシーンはこの映画屈指の名シーンだ。

「哭声/コクソン」で主演を張ったときは、ちょっと抜けている家族思いの地方警察官を演じたが、韓国映画を観続けている側からすれば、クァク・ドウォンと言えば韓国映画界が誇る嫌味なおっさんを演じさせたら右に出るものはいない名バイプレイヤーなのだ。*5

 上記の「ベルリンファイル」でも端役ではあるが嫌味な韓国国家情報院の調査官を演じているし、「ある会社員」という映画でも、これまた嫌味な上司を演じている。

 

 口の中に含んでいた氷を氷嚢の中に入れ、それを主人公の傷口に当てる様とか厭らしすぎてもはや天才。

 

「悪いやつら」という、盧泰愚政権下で翻弄される韓国マフィアを描いた作品でも、クァク・ドウォンは検事役として出演。PVからすでにオーラを解き放っている。

 

 この映画、時代の空気感が最高だ。監督は空気感にこだわるためにスーツを何着も仕立てさせたそうだ。鑑賞の際のポイントにしてもいいだろう。

 

 また、「哭声/コクソン」のナ・ホンジン監督作品「哀しき獣」も、ちょっとしか出演していないが、強烈な印象を観客に見せつけた。(PVでもちょっと出てる) 

 

 殺し屋にぶっ殺される、ちょっと癖のあるキーマンとして。

 クァク・ドウォンが偉い人を演じるときはだいたい碌でもないヤツと自分の中で相場が決まっていたが、 彼が演じる、「鋼鉄の雨」に出てくる補佐官はめちゃくちゃいいヤツなのだ。別れた元妻を「性悪女」という名前で携帯に登録し、腹が減っている北の工作員の前で米帝の象徴たるハンバーガーをもしゃもしゃ食う神経の太さは持ち合わせているが。

 チョルウという同じ名前、奇妙な境遇を経て信頼関係を築いた2人は最後の戦いに挑む。「戦争を起こしてはならない」という目的のために。

 

 韓国映画はブロマンス的な要素がかなり強い作品が散見される。最近はいくらか重視されなくなったようだが、どこの家でも家系図を抱えているという父系血縁原理が今もなお息づく韓国では、義兄弟の絆をテーマにした作品も数多い。

(これを皮肉ったのが「悪いやつら」という作品。税関に務める一介の地方公務員でしかなかった男が、家系図を盾に遠縁のヤクザと手を組んで悪事を働くストーリーだ)

 もともと年長者を敬う儒教文化も相当根強い*6ため、「アシュラ」しかり、「新しき世界」しかり、言ってしまえば、ある種ホモソーシャル的なストーリーがバシッとハマる。

 

 ホモソーシャルが根底にある作品は、ハリウッドにも「エクスペンダブルズ」を始めいくつかあって私自身大好きだけれども、その一方で、その価値観に飲まれ、すり潰されてしまっている人もいる。先のジャンルムービー云々に絡めて話せば、「集団強姦された娘のために復讐する父親/母親」というジャンルも韓国で確立されていて、実在の事件をモデルにした作品も珍しくない。東野圭吾原作の「さまよう刃」は韓国でもリメイクされて大きな反響があった。Webコミックでも定番の題材だ。良くも悪くも。

 このジャンルが普及する社会背景や、そもそもそういった社会背景をこのような形で消費している構造が息づいている今がある。

 また、そうした背景から醸成された、歪な司法を痛烈に批判した作品として、『トガニ 幼き瞳の告発』という実話を元にした映画が上映された。この映画は韓国世論を動かし、この映画をきっかけに児童に対する性犯罪の公訴時効が撤廃され*7、映画の元になった実際の事件の被疑者は実刑判決を受けるまで影響を及ぼした。

 

 この映画を初めて観た日の晩に観た夢は最悪だった。

 作品が日本で上映されたときには、この映画は韓国世論を動かした!と鳴り物入りで宣伝されていたから、無念極まりないラストでもある意味救いはあったが、これが韓国で上映されたときは、まだ何も解決していなかったと思うと胸が痛む。

 

 映画が世論を動かし、司法までも変えてしまう力があるというのは、すっかり弱体化してしまった邦画市場からすると羨ましいような、なんとも言えない気持ちにはなる。世論で揺れ動く司法も、ある意味では恐ろしさとも取れてしまうから。

 ただ、問題の提起と内省と、エンターテインメントを高い水準で両立している韓国映画界のポテンシャルは計り知れない。「パラサイト 半地下の家族」が日本でもまた話題になった。韓国映画を食わず嫌いする人が減ってくれればと思う。

 

  韓国映画は、2000年代初頭のパク・チャヌク監督作品のヒットや、「哭声/コクソン」の日本での大ヒットを経てもまだマイナーだ。

 また、韓国の映画とドラマとでは出演する俳優の層があまり重ならない。韓流ブームの主流は恋愛ドラマで、韓国映画ファンは新大久保に通う韓流ファンとは分かり会えないという孤独がある。泥臭く、暗い話ばかりだしその上暴力描写が苛烈……というイメージが未だに根強く、そしてそれは大体に於いて正しいからだ。

 韓国版「96時間」と話題になった「アジョシ」もアクションがバキバキの快作だが、導入や中盤の敵勢力の煽りがあんまりにも重すぎて、「アジョシ」観てテンションがぶち上がったのはボンクラ映画勢だけで普通のカップルはドン引きする悲劇があった(自社調べ)

  これはこれで韓国映画の魅力だと思っているが、共感を得られたことがあんまりない。

 

 この映画、岡田准一主演で日本でもリメイクしてくれないだろうか。

 

 

*1:最高指導者を指す

*2:北朝鮮のスパイ機関

*3:青瓦台は韓国の大統領官邸を指す。日本の内閣情報調査室に相当する組織

*4:称賛

*5:限りない称賛

*6:年下の先輩が年上の後輩にタメ口を利くことで、実力主義の組織であるということを暗に示す演出は韓国映画では割と定番だ。

*7:子供への性暴力犯罪の処罰に関する改正案は「トガニ法」と名付けられた